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写本の地位、刊本の地位

写本の地位、刊本の地位

書物には印刷されたもの(刊本)と、手で書かれたもの(写本)の二種類が存在しています。江戸時代における出版の普及によって、刊本と写本との関係にはどのような変化が生じたかを講義してゆきます。

ビデオの中で一戸教授が引用している、江戸時代の2つの文章があります。以下に原文と現代語訳をご紹介しておきます。

1. 太夫から源氏物語を借りようとした男の話

井原西鶴(1642-1693)『諸艶大鑑(しょえんおおかがみ)』(1684)

(原文) むつかしきは太夫の身也。有時、物覚のよはき人、「「わりなきは情の道」と書きしは、柏木の巻にはなき」とあらそひ、去太夫殿へ、源氏物語を借(かり)に遣しけるに、其まゝ湖月おくられて、即座に其埒(らち)もあけしに、此本を見て、「さてもさても此里の太夫もすゑになるかな。むかしは名の有御筆の哥書を、揃へて持ぬはなし。板本つかはされて、物事(ものごと)あさまになりぬ。
(現代語訳) 太夫(最高位の遊女)とは困難なことの多い立場である。ある時、記憶力の弱い男が、「「理屈ではどうしようもないのが恋の道なのだ」とは、『源氏物語』の柏木の巻に出てくる文章だっただろうか?」という事で言い争いになり、『源氏物語』を借りるために、とある太夫のところに人を派遣したところ、その人は『湖月抄』を携えて帰って来た。その本を参照して問題に決着はついたのだが、その本を見て記憶力の弱い男はこう言った。「それにしても、この地の太夫の品位も地に落ちたものだ。太夫ならば、昔は公家などの名の通った人が美しい筆跡で書いた、『源氏物語』を含む和歌や物語の豪華な写本を一揃い持っているのが当然だったのに、このような刊本を渡してくるとは、なんて粗末なことだ。」

2. 古今和歌集を三度書き写したことを誇りに思う歌人

加藤枝直(かとうえなお) (1693-1785)『古今集抄の奥に書ける詞』(1742)
(原文) 今世に證本といふものは、定家卿貞応二年老の手づから筆を染たまひしなり。又嘉禄二年に書給ひしも有とぞ。古人の常に深切なるをしるべし。今民間の歌よむ人、板行の古今一部もちたれば、自筆にうつす事はせぬにや。今の世にも常にすける人は、荻生何がし儒学者にて有しが、文選をほぐのうらに三度うつしたるなり。すける人はかくこそ有けれとはげまされて、をのれもすでに古今集を書写する事三度に及べり。
(現代語訳) 今現在、信頼に足る『古今和歌集』の写本は、藤原定家(ふじわらのさだいえ)が1223年に筆写したものである。また1226年に定家が書き写したものもあるという。昔の人というのは常に学問に対する思いが深いものであるということが、ここから解るだろう。現在、一般の人びとで歌を詠む人は、刊本の『古今和歌集』をひとつ所持していれば、わざわざ自分の手で書き写すことなどしないだろう。とはいえ、現在でも学問への思いの深い人であればそれで満足することはない。例えば荻生徂徠(おぎゅうそらい, 1666-1728)という儒者は、『文選(もんぜん)』を不要な紙の裏を使って三度も書き写したという。学問への思いの深い人とはこういうものであらねばならないと、私も励まされて、既に『古今和歌集』を三度も書き写したのだ。

ビデオで紹介した書籍

  1. 『湖月抄』北村季吟
  2. 『令子洞房(むすこべや)』山東京伝 1785年刊
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古書から読み解く日本の文化: 和本の世界

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