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日本の未熟性

日本の未熟性
© Keio university

未熟性は、日本のサブカルチャーを理解する上での、このコースのキーワードのひとつです。そして、このアクティビティでは、日本社会において未熟さが重視される理由を学習します。

キース・ヴィンセントによる「未熟さ」

最も著名な日本文学者のひとりであるキース・ヴィンセントの論文『The Geneology of Japanese Immaturity(日本の未熟性の系譜)』(1) の抜粋を読んでみましょう(全文を読むことができます)。

日本には「未熟」または「子どもっぽい」ところがあるという主張は広く受けいれられているようだ。日本の内側・外側のどちらから見ても、この指摘は正しいように思える。そして、読者はご存知と思うが、日本政府は未熟な日本というイメージを甘受するような政策を実施している。2008年にはハローキティを観光大使に任命し、日本の最も儲けのいい文化的輸出品として「カワイイ」を奨励している。政治の世界でも、永遠の少年という日本のイメージが長い間流布されてきた。民主党が政権を握りアメリカに対して自己主張を始めた今、一部のジャーナリストは日本が「ついに成長し、自分の道を行く」ことになるのか注目している (2)(英語版にない原稿)この種のレトリックの例がもっとないかグーグルで検索してみたところ、サンディエゴに、「Grow Up Japan(成長しろ日本)」という店名で、日本のマンガやアニメなどのオタク関連商品を販売する店を見つけた。同様の例をいくらでも挙げることができるが、もはや日本と「未熟性」の関連付けは陳腐化していると思われるため割愛する。
おそらく、この関連性ゆえに、日本に関心を持つ学生は、例えばフランス語や中国語を学ぼうとする学生とは異なっているように見える。日本への留学プログラムに参加を希望する学生は、面接や志望理由書で、もちろん具体的に日本の何が好きか(食、ファッション、大衆文化など)を説明する一方で、ほぼ必ず日本に対して抱く「愛」そのものについて語る。多くの場合、この「日本」愛が幼少時代以来のものであるとも合わせて語られる。当然ながら、研究対象を愛するのは重要なことで、外国語を真の意味で習得するにはその言語に対する情熱を抱く必要があるのも事実である。しかし、それでも、このような学生が「日本を愛する」様子には、どこか熱狂的でオタクっぽいところがある。彼らにとっての日本は、ただの外国ではない。世界の他のどの地域にも存在しない何かを約束してくれると思わせる別世界なのだ。(英語版にない文章)中国語を学ぶ学生が中国の経済成長に「興味」を抱き、ロシア語を学ぶ学生がドストエフスキーに「好奇心」を覚える一方で、日本について学ぶ学生は「日本」への「愛」にすっかり溺れている。このような奇妙な愛の強さには、彼らが日本文化を自身の子ども時代と結びつけているという事実に関係しているはずだ。(略)
もちろん、学生たちをこのようなファンタジーから目覚めさせ、日本と日本文化について、「大人」らしくとは言わないまでも、より批判的に考えさせるのも、私の仕事の一部だと考えている。私の専門は近代日本文学なので、学生には夏目漱石や柄谷行人の作品を大量に読ませる。通常は、これには少なからず効果がある。最終的な目標は、「日本」なるものについて考えるのではなく、そこに住む人々や、その人々が書いた本、そしてその両方が学生自身の人生にどう関連し、どんな知的刺激を与えているかについて考えさせることだ。ある意味において、私は学生を「卒業」させ、子ども時代と日本とを切り離そうとしているように思えるかもしれない。しかし同時に、学生には「子どもっぽい」日本の思い出も忘れずにいて欲しい。そして、このイメージが歴史的にどのように形成されたのかを考えて欲しい。日本への憧れからただ「卒業」するのではなく、子どもっぽい日本というイメージを利用して、子ども時代と「成長」に対する私たちの理解が現代の世界においてどのように強力なイデオロギー的意味を持つに至ったかを掘り下げて欲しい。日本文学を研究することの最も重要な意味は、想定の上での成熟と子どもっぽさの要素について再考する機会になることと言ってもいいくらいだ。  
どうしてだろうか? それは、日本の現代性の根底にある成熟と成長という概念が長い間、単なる素朴な目標ではなく、日本の知的・文化的ランドスケープに関わる重要な問いだったからだ。例えば、斎藤環は、漫画やアニメに非常に頻繁に見られる変身の過程は、急速な成長のメタファーであり、成長したいという子どもの願望を反映していると主張する(3)。変身は、明治時代に溯り得る、成長と発展へのより大規模な社会的関心をも暗示しているともいえる。明治期以降に日本が経験した急速な近代化は、つまるところ、集団的な変身のようなものだった。いくつかの点において、この極めて高速の変身はトラウマを残したが、進歩、成熟、そして「文明化」といった概念に付随するイデオロギーに対する高い批評的意識を醸成した。(英語版にない文章)柄谷行人は、明治期について書いた文章において、「我々日本人は、自分たちの目で限られた時間内に、あるプロセスの凝縮された形を目撃した。そのプロセスは、西洋では何世紀もの間に引き伸ばされて起こったために、西洋人の記憶では抑制されていたものだった」と述べている(柄谷、36頁)。もちろん、柄谷に言わせれば、この経験を批評的または理論的認識に転換できたのは漱石だけだった。とはいえ、日本の歴史と文学を学ぶ者は、「成長」や「近代化」、明治期には「一等国」、より最近では「普通の国」になることの必要性を感じることから生じる、イデオロギー的、レトリック的、精神的、その他様々な影響を無視することは許されない。

日本の未熟性

この記事で、ヴィンセントは、終戦後日本でアメリカによって行われた文化的去勢と、マターナリズムへの依存という問題に着目しつつ、日本人に「未熟」というレッテルを貼るイデオロギー的行為を批判しています。
「日本の未熟性」という前提を受けいれるとするなら、その原因の説明にはどちらも一分の理がある。敗戦のトラウマと、傲慢な母親からの息苦しい圧力とが、成長の妨げとなることは十分にあり得る。しかし、「日本人」が「未熟」か否かという問いの代わりに、未熟だという主張にはどのようなイデオロギーが働いているか、という問いを立ててみたい。なぜなら、「成長」と「母親離れ」にまつわる騒擾は、男根崇拝的で、しばしばヘテロ規範的な男性的主体にとって、常に有利に働くである。(略)そして、個人の心理や家族の動態のレベルでならどうとでも言えるかもしれないが、このような精神分析的理由づけを文化全体に適用することは非常に問題がある。それどころか、「日本の未熟性」という語りを繰り返すこと自体、集団的トラウマを持つ日本のイメージを強化し、歴史体験は人によって異なるという認識を薄れさせてしまうと私は考えている。国家が真の意味で「成長」し得る可能性があるとすれば、この歴史体験の多様性を肯定して開拓し、一様ではない戦後体験の語りを認識することでこそ、その可能性は開ける。それは、国家が(またはある世代が)足並みをそろえて前進することはなく、「成熟」には様々な形があり得るということを認識することを意味する。
また、文化の「近代化主義者的」理解と呼ばれたものを再考することを意味する。文化の「近代化主義者的」理解とは、「子どもっぽい」または「原始的」なものを一端とし、「成熟した」または「文明化した」ものを他端とする普遍的な進化の時間軸が存在するとする考え方である。そこでは、特定の文化または個人は、この時間軸のある地点に存在しているとイメージされ、他者と比較して「遅れている」「進んでいる」または同時代的と説明することができる。今日、このような直線的で近代的な考え方を脱却してもよい頃だと主張する人がいるにも関わらず、このような考え方を避けるのは驚くほど難しい。

阿部公彦による「未熟さ」

英文学・日本文学の評論家・研究者である阿部公彦は、「未熟さ」を新しい領域を作り出すための戦略と捉えています。その領域では、言語は、話し手/利き手(先生/生徒、支配者/被支配者、強者/弱者、など)といった関係性から自由になっています。一般的には、世界を統制する手段として、社会は言語を通じた地位の固定化を必要とします。ところが、もし未熟な者/弱者/被支配者が、言葉を発する側に回ったらどうなるでしょう? 阿部は、私たちの社会における未熟性/子どもっぽさの立ち位置と、その破壊力について論じています。阿部公彦『幼さという戦略』(6-9)英語への翻訳
英語版にない日本語文章↓
「幼さ」とは奥の深い、不思議なものである。私たちは「子ども」とか「幼さ」といった概念をあたりまえのように受け取るが、実はこれらはそれほどあたりまえのものではない。むしろ「子ども」「幼さ」「弱者」といった概念を拠り所にして世界を見てしまうこと自体に、私たちのものの見方の偏りがある。今のように人間の一章の「幼児期」がそれと認知されるようになったのはこの数百年のことにすぎない。近代以前は幼児期は所詮大人未満、大人以前としてみられていただけだった、とする説もあるほどだ。
ではそれ以前はどうだったのだろう。近代になって「幼さ」がこのように公認されるようになった背景には、言葉の流通がからんでいる。古来、言葉や情報のやりとりには権力が深くかかわっていた。権力の第一歩はおそらく情報の支配にある。だから情報は、しばしば権力の近くに置かれた。情報をいかに記録し、記述し、伝えるかに、権力を持つ者はおおいに気を遣った。
しかし、近代になり大きく事情が変わる。権力による情報のコントロールが難しくなったのである。紙などのメディアを通じた情報の発信はコストが下がり、権力を持たない者もそれを効果的に行うことが可能になった。そのため、権力や権威によって守られていない、ときには未チェックで未加工であやしい、信用もできない情報が出回ることが増えてくる。
ところがおもしろいことに、私たちはそういういかがわしい情報にこそ惹かれてしまうのである。信頼できない語りや虚構のつくり話を追い求め、その力に感動しさえする。小説というジャンルが近代社会で大きな役割を果たしたのもそのおかげだ。そして、そうした動きと並行する形で進行したのが「幼さ」や「子ども」という概念の定着だったのである。・・・
考えてみれば、近代人は幼くありつづけることを強いられてきたのだとも言える。たとえば「消費」という概念には、者を買い、消費する人を、知識に乏しい無知な人と見立てる視線が内在する。教え、警告するというスタンスの広告がちまたに氾濫するのもそのためだ。私たちもそれを不思議には思わない。学校、役所、警察といった公共機関にも—善意には満ちていても—どこか保護し、教え諭そうとするようなパトロナイジングな視線がある。善良な一般市民は、「幼い人」と見なされるのである。「幼さ」は、そういう意味では、徹底的に社会化されてきた。しかし、そうした「大人が語り、子供が聞く」という、権力者の設定した<語りのシステム>の中に住み着きつつ、まさにその「幼さ」や「弱さ」を楯に取るかのようにして転覆的な力を持ってきたのが、近代の「幼さの語り」でもあった。ときには大人の言葉やシステムの束縛をひっくり返すかのような巧妙さとともに、愚者や幼い者は言葉を発信することができる。(6-8)

日本語未翻訳↓

Abe argues that the concept of infantility, immaturity or minority was focused on in the age of modernization. Before modernization, authorities controlled information and communication in order to keep orders in favor of those who had power. However, Abe discusses, print and media technology developed during modernization, which enabled ordinary people to have access to and spread information that was not officially authorized. Narratives by the unauthorized—in other words, by the immature—may be shady, promiscuous and chaotic, but they may have subversive power against authorities. Abe’s argument on the infantility of narratives might shed a new light on Japanese sub-consciousness which you may be able to see in Japanese subcultures.

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日本のサブカルチャー入門

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