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永遠の少女時代

永遠の小女時代
少女漫画にはいくつかカテゴリがあります。その一つ「乙女チック漫画」についてご紹介します。 (Reference-1).

「オトメチック・ルネッサンス—少女マンガのヒロインたちのその後」巽孝之・宮坂敬造・坂上貴之・岡田光弘・坂本光編著『幸福の逆説』(東京:慶應義塾大学出版会、2005年)209-32頁より抜粋  

宮台真司、石原英樹、大塚明子による『サブカルチャー神話解体』(一九九三年) (Reference-3)において、宮台氏は、少女マンガをいくつかのカテゴリーに分けている。すなわち、読者にとっては憧れではあるが自分では経験できそうにないヒロインがでてきて代理経験ができる「大衆小説的な少女マンガ」、「乙女ちっく」マンガを代表とする現実解釈を呈示するような「私小説・中間小説的な少女マンガ」、そして萩尾望都などをはじめとする「西欧純文学的な少女マンガ」である。

ところで73年から少女マンガ史上画期的な「乙女ちっく」が登場しますが、これこそ<私>を含むモデル、<関係性>としての少女マンガの始まりです。陸奥A子、田淵由美子、太刀掛秀子、初期の岩館真理子などが代表的な作家群ですが、大きく分けて二つの流れがあります。ハイパーポジティヴもの/コンプレックスものと呼んでおきましょう。前者は「街のポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな<世界>のやさしさよ」的なもの。後者は「ドジでブスな私。でも『そんな君が好きだ』と彼が言うの」的なものです。双方とも、有りそうもない経験の代理体験ではなく、現実の<私>やその周りの<世界>をどう解釈するかが問題になっています。<私>をそこに当てはめられる<関係性>モデルが提示されているのです。(15頁)

たとえばここで岩館真理子の『ふたりの童話』(1976年)(1)を見てみよう。主人公は極端なほど内気で虚弱体質の少女・しのぶ。母親は亡くなっており、ちょっと心配性の父親と二人暮らしという設定。なにをやってもトロくてドジだが、素直で心優しい星河しのぶが、小学校のときに憧れていた男の子・菅原高志と中学校で再会するところから物語がはじまる。恥ずかしくて自分の思いを誰にもうち明けられないしのぶは、あるとき高志との間に生じた誤解さえとくことができない。その後高志が転校し、ふたりは離ればなれになる。しかししのぶは高志を一途に思い続ける。結局は小学校のときの最初の出逢いから数年後、高校生になって結ばれるふたりの物語である。しのぶにしてみれば「自分はただ見ているだけでよかった」と思っていたわけなのだが、おたがいその間ずっと好きであったことが最後になってわかる。これは「ずっとそんな君がすきだったんだ」、つまり「そのままの君でいい」というメッセージを読みとることができる。[Fig.1]

Futari no Dowa Fig. 1. 『ふたりの童話』2巻 p132 ©岩館真理子 1976年 (しのぶは高志に恋人がいるかもしれないと知り苦しむが、のちにそれは彼女の誤解だったことが判明する)

橋本治はオトメチックマンガの代表的マンガ家・陸奥A子を論じている。そこで橋本治は、「そんな君が好きだよ」という他者(この場合は男の子)からの自己肯定を女の子は必要とする、またそれを言ってもらうために、「内気」だとか「おちびちゃん」だとか「そばかすだらけ」とか自己欠陥を自ら創り出しているのだと論じている(105-06)(Reference-2)。つまり欠点だらけの自分を作り出した上で、「そのままの自分が一番好きである」ということを言ってもらえることを夢見続けている状態が、オトメチックマンガなのである。さきの宮台氏の見解と合わせて考えてみれば、70年代前半に盛んになってきた乙女チックマンガの隆盛は、現実を生きる女の子達が、どのように現実を認識すれば「生きやすい」のかというモデルを提示したといえるだろう。

ではいったい「現実認識」とははなにを認識することなのか。少女マンガのヒロインを通した現実認識とは「他者との関係性の中で生きる自分」を認識することに他ならない。だからこそ『ベルサイユの薔薇』(1972-73年)(2)のオスカルのように、代理経験を体現する憧れの人ヒロインはなく、前述の『ふたりの童話』や、同じく岩館真理子の『チャイ夢』(一九八〇年)(3)のヒロイン桃子(自分の双子の姉にコンプレックスを持っている)Fig.2のように、どこかコンプレックスを抱えながら他者との関係性を保っていかなければならない女の子を見て「これってあたし!」というロールモデルを見つけていくことになるのだ。つまり、読者である少女たちは、自分が現実に生きていかなければならない状況のシミュレーションを、マンガを読むことによって行うということになるのである。

Chaimu Fig. 2. 『チャイ夢』p. 204 ©岩館真理子 1980年 上品で控えめな姉にいつも劣等感を持っている桃子は、密かに思いを寄せる昇への気持ちを抑えて故郷に帰っていく。

他者との関係性の中で生きる少女たちにとって、はたして「他者」とは誰なのか。誰との関係性を求め、誰から認められたいと考えているのか。それはもちろん「一番好きなあの人」であり、異性愛が中心の少女マンガでは片思いの相手の少年である。このようなおもに学校を舞台にした恋愛マンガは七○年代から八○年代にかけて学園ドラマとしてひとつの主流を形成することになる。読者とおなじ年代のヒロインが、自分と同じように憧れの男の子に片思いをし、最後にその一途な思いが酬われる、という物語が、多くの読者の共感を得たであろうことは、想像に難くない。たとえば、雑誌『なかよし』で活躍した高橋千鶴の「プルルン・コーヒーゼリー」(一九七七年)(4)は、友人に恋人を取られてしまって以来、コーヒーゼリーは失恋の味がするようで苦手になってしまった涼子の物語である。美人の友人にコンプレックスを感じる涼子は、喫茶店の店員である秀に惹かれるが、彼もまた自分の友人を好きなのではないかと思い込み、また失恋してしまったのかと誤解する。だが、秀が本当に好きなのは涼子であることがわかると、涼子はコーヒーゼリーが食べられるようになる[Fig.3]。

Pururun Coffee Jerry Fig. 3. 『プルルン・コーヒーゼリー』p. 161 高橋千鶴 1977年 講談社 涼子は友人に恋人を取られてから自信をなくしていた。しかし秀が愛を告白したことで、彼女は自分を取り戻した。

ここで注意したいのは、同時代の少女マンガのなかには一条ゆかりの『デザイナー』(1974年)(5) であるとか、牧村ジュンの『エリュクスの白い花』(6)などのように近親姦的関係を含む大河ロマン的作品も存在したし、そもそもこのような恋愛至上主義という枠組みを持った少女マンガに関して違和感を感じていた人たちもいたということである。すべての少女マンガがこのような傾向を持っていたわけではないが、すくなくとも少女マンガのあるカテゴリーに属する作品は、少女たちがもっている欲望や妄想を拾い取るものであった。また逆にこうした少女マンガを読んだ少女たちは「男の子からの自己肯定というものが自分には必要なのだ」と思って成長していったという循環が生まれたといえるだろう。

こうした「他者からあたえられる自己肯定」というものは、自分以外の他者の存在に気がつくということでもある。それは自分の世界の中に、「他者」の存在がしめる部分が増えていくことを受け入れることへと繋がっていくことであり、そこに少女の成長を見ることができる。たとえば吉野朔美の作品『月下の一群』(一九八二—八三年)(7)を見てみよう。勉強がよくできて社交性もある弟・慈雨(じう)に頼りっぱなしのヒロイン毬花(まりか)は、良くできる家族の中ではただ一人落ちこぼれた存在になっている。コンプレックスがつよいためか、他人とどう接していいかわからない毬花は、あるとき慈雨の友人で、頭も顔もいいがぶっきらぼうな検見川という青年に出会う。それ以来、自分とはこれまでは関わりのなかった様々な人間関係や未知の世界を垣間見て、次第に変化してゆくという物語である。毬花が苦手としていた厳格な父親と会話を交わす場面が端的に示すように[Fig.4]、毬花は「自分以外の人にも生活や性格があるのだということを実感してい」ることを告白している。毬花におこった「私だけがこんなふう・・・」から「こんなふうなのは私だけじゃないんだな・・・」という認識の変化は、検見川という青年によってもたらされているとことは注目に値する。自己認識というものと同時に、他者の認識、しいては自分が属している世界およびその外の世界への現実認識へと結びついていく。

Gekka no Ichigun Fig. 4. 『月下の一群』吉野朔美 1982-83年 講談社 毬花は検見川と出会うまでは他人に興味がなかったが、彼を通じて他人を知り、他者の人生や個性を知るようになる。

これと同じ設定として、岩館真理子の『君は三丁目の月』(一九八五年))(8) をあげることができる。『月下の一群』と同じく、できのいい弟・彰に依存している姉・恩田ルツは、弟に彼女が出来たことで自立を迫られるのだが、そのとき弟の代わりのように出てくるのが、ヒロインを以前から思っていた少年・日野である[Fig.5]。ここでヒロインは、「恩田が死んだら/おれ こまるんだよ」という少年の叫びによって、「他者」の存在を認識する。

Kimi ha Sanchome no Tsuki Fig. 5. 『君は三丁目の月』p. 81 ©岩館真理子 1985年 日野は自分と同じように欠点の多いルツを受け入れる。

もちろん、すべての少女マンガがハッピーエンドで終わるわけではない。たとえば、乙女チックマンガの元祖とよばれた陸奥A子の八○年代に入ってからの作品を見てみたい。一九八五年に発表された「薔薇とばらの日々」)(9)は、朝江と季里という姉妹が、それぞれ同時期に好きな人ができるところから物語が始まる。実は同じ少年を好きになっていたのだが、お互いそのことには気がついていない。クリスマスが近づいてきたため、朝江も季里も好きな男の子にプレゼントを渡し、告白することを決意する。だが、その男の子にはすでに恋人がいたのである。ここでは、他者からの自己肯定(つまり「そんな君が好きなんだ」という言葉)は少年からはもらえない。しかし「他者の存在を通じて、自分で自分を認識する」というより積極的な自己認識が行われている。「悲しいことじゃないわ/必要なことかもしれない」「うん/どこかで待ってくれてる誰かさんに一歩ちかづいたようなものよね」というセリフは、失恋であれ両思いであれ、恋愛経験を通じた成長を校訂する。あるいは、谷川史子の「花いちもんめ」(一九八九年)では、実の兄・梗を恋い慕う主人公・桜子は、もちろん近親姦的な思いが酬われることはないのだが「いまはとうてい無理だけど…/きっとね/梗ちゃん あなたの妹でよかったと/心から思えるわたしになりたい」と独白し、「誰かを好きでいる」こと自体に積極的な意味を見出す。また、同じく谷川の作品『気持ち満月』(10)には、好きだった先輩への思いは単なる憧れだったことに気がついたヒロイン・みちるが結末部分で「いつか誰かを好きになる/その気持ちがふくらんで/欠けない満月になる」と考えることは、恋愛そのものよりも自分の成長に必要なステップとしての恋愛へと、むしろ「成長」に必要な要素として捉えているようにも考えられる。したがって、失恋があったとしても心配することではないことを、読者に語りかける。

さて、少女マンガに見られる恋愛パターンで、同じようによく見受けられるものとして、「ヘンな男の子を好きになる」というものが挙げられる。これは、「あの人の良さは私にしかわからない」ということによって、「みんながわからないあの人の良さを知っていること」からくる自己肯定であるといえよう。これは人は見かけによらないとかそおいうものではなくって、「自分のことだけを理解してくれる人」から「自分だけが理解できる人」へと変換を遂げたのであって「そんなあなたが好き」ということで、「そんな君が好き」ということばの裏返しとなっている。のちにボーイズラブ小説家として活躍したあさぎり夕の「呼ばせてMYヒーロー」(1984年)(12)では、進学校にかよう才色兼備のまゆが、同じ高校の成績優秀かつ眉目秀麗な小野先輩ではなく、幼なじみの冴えない一平への思いを貫く話であるが、ここでは逆に一平がまゆと自分は釣り合わないのではないかと思い悩んでいる。しかし、まゆは学園祭の舞台の上で「そんな一平ちゃんがすきなのよ!」と叫ぶことによって、自ら「そんな男の子を好きな自分」を積極的に公にしていく勇気を持っているのである[fig.6]。

Yobasete My Hero Fig. 6. 『呼ばせてMYヒーロー』 2巻p. 326 あさぎり夕 1984年 講談社 ミス北園高校のまゆは周りの女子から見ても冴えない幼馴染の一平を気にかけている。まゆは、彼の優しさに気付けるのは自分だけだと知っている。

以上のように、関係性のモデルとしての「少女マンガ」があり、そこで重要なのは他者からの自己肯定である。もちろん、最終的に好きな人と両思いになるというハッピーエンドは「マンガだけのもの」であり、「現実には起こり得ない」という物語であることは、読者もわかっている。しかし、「明日にも起こり得るかも知れない」という期待そのものは現実味を帯びている。そのように読者の女の子の「ハッピーエンド」がつねにずらされていくためにも、少女マンガは量産されなければならない。つまりハッピーエンドがつねに後のばしにされている間が、乙女チック少女たちの幸福であるということができるだろう。

© Keio University
This article is from the free online

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