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「やおい」に関する文化的背景

「やおい」に関する文化的背景
© Keio University

やおいとは何でしょうか? どんな種類の社会的背景がこの文化を生み出したのでしょうか?

私自身の論文「女だけが知っている:女性に見る男性同性愛嗜好とセクシャリティの可能性」 三色旗 (1) (2011 年 5 月) からの次の抜粋を読んでください。

セクシャリティ

セクシュアリティという視座は、それまで二元論的に論じられることが多かった性差(ジェンダー)を中心的問題として扱ってきたフェミニズムが、結局は異性愛を前提としていることを明らかにした。さらに人種や階級間の差異を扱ってこなかったことに対し、もうひとつの軸を考えることが求められた結果、セクシュアリティの概念が導入された。こうして、われわれの中にあるはずなのに、見過ごされてきた(あるいは積極的に無視されてきた)「差異」を、性という側面から問い直すことが可能になった。「強制的異性愛」(アドリエンヌ・リッチ)や「異性愛規範」(マイケル・ウォーナー)によって、異なる性的指向を持つ同性愛者は周縁化された存在であったし、文学作品においても、同性の関係は見過ごされるか周縁化されてきた。しかし、姉妹的友愛【シスターフッド】や同性愛的感性【ゲイ・センシビリティ】を作品内部に見ていくゲイ・レズビアン批評によって、セクシュアリティの問題が次第に前景化されることとなる。

ところが、80年代後半から90年代にかけて、同性愛とそれに周縁化される異性愛もまた、二元論に陥っていることを鋭く指摘する論考が登場する。異性愛と同性愛は単純な二項対立をなすものなのか。人間の主体は可能な自己の断片が集合した流動的なものであるとするならば、人のセクシュアリティもまた固定されたものではなく、形を変えうる断片の集積と考えることが可能ではないか。また同性愛の内部は均質なのか。内部の差異があるのではないか。フェミニスト系の研究誌『ディファレンシズ』(一九九一年第三巻第二号)に掲載されたテレサ・デ・ローレティスの論考「クィア・セオリー−−−−レズビアン/ゲイ・セクシュアリティ・イントロダクション」は、こうした異性愛の周縁としての同性愛という二元論的位置づけに意義を唱え、「独自の社会的・文化的形象をもつもの」として捉え直す試みを行った。その際、ローレティスはあえてゲイ/レズビアン研究という名称ではなく、自分たちのセクシュアリティの枠組みを再考し再構築するために、「クィア・セオリー」を提唱した。ローレティスが強調したのは内的差異を意識すること、男性同性愛・女性同性愛、性差、そして特に人種や階級などの差を意識しつつ、それを含めた状態でのセクシュアリティ研究をクィア研究と呼ぶようになる。

セクシャリティの理論

セクシュアリティの流動性をもっとも端的に理論化したのが、前述のセジウィックによる『男同士の絆』である。セジウィックはシェイクスピアから一九世紀ヴィクトリア朝の小説を丹念に読み解くことで、内部にあるホモソーシャルな欲望と、同性愛嫌悪の関係を考察する。そこでは女性を介在させた異性愛の男性同士に見られる絆にホモソーシャルな欲望がさまざまな作品に表れており、それがホモセクシュアルなものとの「連続体」として構造化されている可能性が指摘されている(ただしその連続体は同性愛嫌悪によって断絶される)。ここで注目すべきは、人の欲望の在り方としての異性愛と同性愛が反対の位置に置かれているということではなく、時によってはその範囲が重なる点であろう。

異性愛的な振る舞いをする男性同士の間にまさに「絆」を読み取るこの理論が日本に紹介されたとき、多くの人は日本の主に女性文化の仲に、表には出てこないが、深く根付いていたある文化現象を脳裏に思い描いたと思われる。その文化現象とは、女性による男性同性愛嗜好であり、その嗜好に支えられた創作ジャンル「やおい」にほかならない。

女性によって創り出された男性同性愛嗜好

女性による男性同性愛嗜好とは、そのものずばり、女性による女性のための男性同性愛についての創作物−−−−小説やマンガ−−−に表れている。現在においては、ごく一部の愛好者の密かな楽しみというよりも、ひとつの現象となっているといってもよいだろう。女性作家が男性同士の愛を表現し女性読者がそれを楽しむことの現代における起源は、一九六○年代に発表された森茉莉の小説作品−−−−「恋人たちの森」や「枯れ葉の寝床」−−−−に辿ることができる。その後一九七○年代にはいると、少女マンガにおいて、いわゆる「二四年組」と言われる少女マンガ家である萩尾望都や竹宮惠子がそれぞれ『トーマの心臓』、『風と木の詩』といった少年愛ものを発表している。一九七八年代には、少年愛や男性同性愛に特化した作品を掲載する雑誌『comic JUN』(のちに『JUNE』に改題)が発刊された時代でもあった。

やおい

もうひとつ、一九七○年代に始まった文化活動として注目すべきは、一九七五年に開催された第一回コミックマーケットである。同人誌即売会として始まったコミケは、いわば商業誌とはちがった表現形態を可能にする空間であったといえるだろう。このコミケ文化で花咲いたのが、「やおい」と呼ばれるジャンルである。「やおい」とは「やまなし、おちなし、意味なし」の頭文字を取ってつけられており、既存のアニメやマンガ作品のパロディから出発した二次創作である。一般的に、既存の作品が消費される場合は異性愛が前提とされるため、作品内部の男性登場人物のセクシュアリティは特に言及されないか、異性愛者として描かれている。しかし、その男性登場人物のホモソーシャルな「絆」に、ホモセクシュアルな何かを読み取る女性読者は、セジウィックが論じるホモソーシャルとホモセクシュアルの断絶をやすやすと乗り越えてしまうばかりか、はっきりと男性同士の肉体的な性関係を前景化する。たとえば、筆者が最初に目にしたやおい作品は、一九八○年代に『少年ジャンプ』で連載され絶大な人気を誇っていた少年マンガ『キャプテン翼』に登場する少年たちが愛を繰り広げる作品であった。男性同士の強い友情(絆)の中に、同性愛的な愛を幻視する女性たちが表現するものの中には、かなり過激な性描写も含まれる。セクシュアリティの「伝統的な定義」を軽々と乗り越え作品をクィアに読み解く姿は、セジウィックの理論と共鳴しあう。

もちろんこれはいわゆる大衆文化の一局面にしかすぎないかもしれないし、日本にだけ限った現象と言い切ることもできない(例えばアメリカにはスラッシュ・フィクションと呼ばれるジャンルがあることは、ジョアナ・ラス「女性による、女性のための、愛あるポルノグラィ」[原著一九八五年、邦訳『SFマガジン』二○○三年九月号所収]および小谷真理『女性状無意識』[勁草書房、一九九四年]を参照のこと)。また、やおいで描かれる男性同士の関係を批判する、現実の男性同性愛者も存在する。だが、ここで問題なのは、なぜ女性が男性同性愛を嗜好するのか、あるいはそれを描くことで(そして読むことで)女性はなにを得ようとしているのか、ということである。

なぜ(全員ではなくとも、一定数の)女性が、同性である女性ではなく異性である男性の同性愛を嗜好するのかについては、いくつかの見解がある。榊原史保美は『やおい幻論』(夏目書房、一九九八年)において、女性は「自身を仮託しうる対象を求める積極的欲求」があり、女性そのものからの逃避を求めていることを示唆する。一方で永久保陽子は『やおい小説論』(専修大学出版局、二○○五年)で、やおいとは異性愛的関係を擬態した同性愛的関係を描くことで、いわゆる「異性愛コード」を極限まで減らした関係性を描こうとすると述べる。

「やおい」と「BL」

二○○五年に発表された水間碧による『隠喩としての少年愛』(創元社)は、上記の二人とはことなる視点を提示しており、セクシュアリティの側面だけではなく、その規範を再生産する家族の問題へと切り込んでいる。「母」的存在が体現する身体とその支配からの脱出のために、「女性の身体を排除したエロス(統合の原理)である少年愛」を必要とすると論じている。水間の論は、やおいやボーイズラブと呼ばれるジャンルにおいて暴力や近親姦的な表象がなぜ多いのかという問題へ繋がる視点を提供している。

自らの身体をいったん棚上げにすることにより、セクシュアリティの社会規範の中で感じる不自由さやしがらみを断ち切ること、また家族において、「母」を中心として再生産される支配的な力から脱すること。女が必要とされない男性同性愛的関係性に女性が幻視しているのは、女性を抑圧する世界ではなく、むしろ積極的に自分を無化することで、自身を立て直す場と考えることもできるだろう。

ここで興味ぶかいのは、とくに二次創作の場合にもちいられる「やおい」という名称が、「やまなし、おちなし、意味なし」に由来するということだ。つまり、「やおい」は文脈や背景、それが結果として産み出すものから敢えて距離を取り、一般的に物語に求められる起承転結やバックストーリー、その時間的・空間的結末から自らを切り離すという態度を取る。それはいわゆるマジョリティがもつ価値観とは異なる観点を提供する。ジュディス・ハルバースタムが『クイア的時間・空間』(ニューヨーク大学出版、二○○五年)において、サミュエル・ディレイニーを援用しつつ言及するとおり、クィアな存在は「時間や空間を、発展や成熟、成長や責任感といった規範的論理に挑むようなかたちで使用する」とするならば、やおいにおける「やまなし、おちなし、意味なし」が過去も未来からも切り離された「いまここ」の存在を描く理由が見いだせるのではないだろうか。

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