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高校野球と「青年」の神話

High School Baseball and the Myth of Youth
© Keio University

私たちがこれまで見てきた魔法の手段は、日本の漫画では野球選手にまで与えられています。

魔球と忍術

代表的な例は、『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる、『週刊少年マガジン』1966~71年連載)に登場する星飛雄馬の「大リーグボール」でしょう。子どもの頃、飛雄馬は元プロ野球選手である父の一徹から野球の特訓を受けます[fig.1] 。(1)

Kyojin no Hoshi Fig.1. 『巨人の星』1巻 表紙 川崎のぼる 講談社漫画文庫 1995年

速球派の投手に成長した飛雄馬は、何人ものライバルのバッターと対決し、その対決はまるで一対一の武術の試合のようですらあります。しかし飛雄馬が実在する日本のプロ球団の読売巨人軍に入団するにあたって、飛雄馬の球が「軽い」こと、つまりロングヒットを打たれやすいことが判明するのです。飛雄馬はプロ野球選手としては小柄だったからです(当時は、非科学的ですが、ピッチャーの体重と球質には相関があると考えられていました)。この短所を克服するため、飛雄馬はあり得ない変化をする「魔球」を編み出しました。三種類の大リーグボールのうち、最も有名なのはおそらく2号、バッターの目の前で消滅したように見える「消える魔球」でしょう。(2)

明らかに、この構造は忍者ものから直接取り込まれています。非科学的で信じられないような手段を用いることで、若い読者を楽しませつつ、相対的には弱いヒーローを補助するという構造です。一方で、スポーツとしての「野球」は、もちろん試合という闘争の場が提供されはするものの、必ずしもこのような非現実的要素と相性が良いとは言えません。野球選手は結局のところ、ある程度のルールを守ることを義務づけられているからです。野球漫画のジャンルにおいて、少年の競争相手との対決は、忍者の戦場から高校生の野球の試合へと改変・移植される必要がありました。

日本の高校野球と甲子園

1873年、初めて野球が日本に紹介されたとき、中心となってプレーしたのは大学生でした(3)。初期の野球は、「西洋の武芸十八般」のひとつであり、日本の武士道に近い精神を養うものと考えられていました。その後「スポーツマンシップ」と「フェアプレー」の概念が徐々に広まるようになると、前述の精神とも相まって、野球は若者の倫理的(または精神的)成長に役立つと考えられるようになり、中等教育にも導入されます。1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会が大阪府の豊中グラウンドで、1924年には第10回大会が兵庫県の甲子園球場で開催されました。「甲子園」という言葉は「高校野球」を象徴するようになっていきます。

社会学・歴史学の研究によって、高校野球がそれ以来、メディア上でのパフォーマンスとして、あるいは「青年」にまつわる大衆向けナラティヴとして形成されてきたことが分かってきました。清水諭は以下のようにまとめています。

朝日新聞社と日本高等学校野球連盟、さらにNHKの中継によってつくられる甲子園野球の「物語」は、「純真で、男らしく、すべてに正しく、模範的な『青少年』がスポーツマンシップとフェアプレーの『精神』で地方の代表として溌剌たる妙技を見せるもの」であり、つまるところそれは、理想の「青年」、「若者」像を提示している。またそれは、この国におけるスポーツの「物語」を通した、つまり身体文化の側面からの「男らしさ/女らしさ」を含めた「青春」という一つの基軸、生き方の提示なのである。(4)

現実の日本社会ではこのように、少年、なかんずく高校生の闘争や努力は全国的なエンターテイメントとして扱われてきました。杉本厚夫は、放送メディアを介し何百万人という視聴者の目の前で、高校野球の選手は意識的に「高校生」の役割を演じていると述べています(5)。正々堂々、一所懸命で、野球に打ち込む高校生という役割です。そして、日本人(主として大人たち)は、夢中になって、しかし愛情をこめて、高校生のパフォーマンスを消費する文化を育ててきたのです。このパフォーマンスとは、選手の妙技、勝者の歓喜、敗者の絶望、そして彼らの空振りやエラーさえも含むものです。つまり、彼らの「若さ」であり、「未熟さ」そのものを楽しんでいるのです。

トーナメントシステムと野球漫画

もうひとつ、私たちの文脈にとって重要なのは、このようにして、大人の威圧的影響が、少年の戦場から効果的に排除されているということです(たとえ裏では操っているとしても)。少年たちは、自分たちだけの舞台で、全力をかけて公平に戦うことができます。さらに、全国高校野球大会が「トーナメント」であるという点はより重要かもしれません。選手たちは、優勝するにはいくつもの試合を勝ち抜かなければなりません。負けることが許されない、という状況は、「真剣勝負」の空気を作り、高校野球においてバトルものに要求される緊張感を生み出します。ここに出現したのが、『巨人の星』よりも現実的な描写による、バトル漫画のサブジャンル、野球漫画でした。

野球漫画の方向性をより現実的なジャンルに向かわせた最初の漫画のひとつが、水島新司の『ドカベン』(『週刊少年チャンピオン』1972~81年連載)です。明訓高校野球部とそのホームラン打者山田太郎が、甲子園のトーナメントを勝ち抜く様子を描いた作品です(図2)。漫画らしい非現実的なプレーもいくつか見られるものの、作品の主な魅力は各チームの戦術と高校生選手を取り巻く人間ドラマにあります。

あだち充の『タッチ』(『週刊少年サンデー』1981~86年連載)では、「甲子園」の名は高校野球選手とそのサポーターたちが夢見るゴールの象徴となっています。主人公の上杉達也は、幼馴染の朝倉南を甲子園に「連れていく」、つまり甲子園で選手としてプレーする自分の姿を見せるという約束を果たすため、全力を尽くします。その結果、この作品は、全国大会への出場を決める地区予選大会の決勝でクライマックスを迎えるのです[fig.2]。

Touch Fig.2. ©タッチ 11巻 p71 あだち充 小学館 1994年

また、チームメイト間の競争さえ、野球漫画のテーマになり得ます。例えば、『ダイヤのA』(『週刊少年マガジン』2006年から連載中)の舞台は、野球の強豪校として有名な青道高校で、主人公のピッチャー沢村栄純を含む100人以上の部員が野球部に所属しています。[fig.3]

Daiya-no A Fig.3. 『ダイヤのA』3巻 p58 寺嶋裕二 講談社 2006年

結果として、より困難な予選大会と全国大会に臨む前に、レギュラーの座をめぐってはやくも熾烈な競争が繰り広げられることになります。ほとんどプロ選手のような野球漫画のキャラクターたちですが、それでも彼らは「高校」野球のルールに縛られているわけで、日本の高校教育システムこそが、作品に確固とした枠組みを与えていると言えるのです。

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