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教訓としての読書

教訓としての読書
© Keio University

江戸時代初頭における古活字版の登場以降、多様な書物が出版され、広く普及するようになりました。それゆえ中世に比べても、読書を行う階層は飛躍的に広がってゆくことになりました。こうした大きな環境の変化は、当然ながら、ひとびとの知識や教育のありかたにも変化をもたらします。

貝原益軒(1630-1714)という福岡藩の儒者が1708年に出版した『大和俗訓』(図1)を例にとってそのことを考えてみます。

Yamato zokkun 図1. 貝原篤信(益軒)『大和俗訓』 1708年刊
上:全巻/下左:後述引用部分の該当箇所/下中:巻頭/下右:表紙
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本書は、いわゆる啓蒙書や自己啓発本のようなもので、「いかに生きるべきか」が平易な日本語で書かれているのですが、「いかに学ぶか」ということについて、以下のように記しています。

博く学ぶの道は、見ると聞くとの二をつとむ。聖賢の書をよみ、人に道をききて、古今を考へて道理を求むるなり。 (中略) 博く学ぶの道多けれど、書をよむほど益あるはなし。古人も人の知恵をますは、書にしくはなしといへり。されど文字をのみ好みて、義理を求めざるは博く学ぶにはあらず。

益軒は、学習の方法を大きく二種類に分けています。ひとつは「読むこと」で、学習者は書物と向き合うこととなります。もうひとつの「聴くこと」では、学習者は教師と向き合うこととなります。どちらも必要なことではあるが、益軒はその上で、読書こそが最も有益なのだと主張しています。

益軒は儒者ですから、ここで想定している書物というのは、『論語』をはじめとする漢文で書かれた儒教の古典のことと考えてよいでしょう。さて、この『大和俗訓』という本自体は、先述のとおり、平易な日本語で、あくまで入門者向けに書かれています。したがって上記のメッセージも、漢文のリテラシーを持つ上流階級のエリートに向けられているわけではなく、かなり幅広い層へと向けて発せられているものと理解してよいでしょう。もちろん、書物を読むこと自体は江戸時代以前から、少なくとも知識人の間では重要であると考えられてきましたが、そうした読書の重要性がこの『大和俗訓』のような平易な入門書において、幅広い階層に向けて発信されている点は、まさに書物が普及した江戸時代ならではの現象といえます。

江戸時代の書店

『大和俗訓』が出版された時期、書物は日本社会にどの程度普及していたのでしょうか?それを知るための指標として、日本の都市部に書物を取り扱う店がどれだけ存在していたかを確認してみましょう。1692年に刊行された『万買物調方記』という本(図2)は、江戸・京都・大坂という当時の三大都市で買い物をする時のガイドブックで、それぞれの都市にどのような商店が存在していたかがリスト化されています。本書には書物を取り扱う店も掲載されており、そこから17世紀末の時点で各都市にどれだけ存在していたかがわかります。ただ、ひとくちに本屋といっても取り扱う商品の種類ごとに異なる名称で呼ばれています。

Yorozu kaimono chōhōki 図2. 『万買物調方記(よろずかいものちょうほうき)』1692年刊
上から、表紙、44頁、45頁、46頁、47頁
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ひとつは「歌書絵草紙(かしょえぞうし)」(図2-44頁)、つまり和歌に関する書物や、大衆的で娯楽性の高い小説や絵入本、教訓書などの比較的庶民的なジャンルを専門的に取り扱う本屋で、京都では3軒、江戸では5軒、大坂は2軒の本屋の名前が挙げられています。もうひとつは「書林 物之本屋」(図2-45頁)といって、より高級な内容のもので、儒学・仏教・医学などといった当時において普遍的な価値を持っていると信じられていたジャンルの書物を取り扱う本屋で、京都に11軒、江戸に27軒、大坂に23軒の名前があり、またその中には新刊本ばかりではなく古書を取り扱う本屋も含まれていたと注記されています。このほかに「唐本(とうほん)屋」(図2-46頁)という中国で刊行された本の輸入販売を行っている本屋、「浄瑠璃草紙屋」(図2-4647頁)という演劇関係の書物を扱う本屋があったことが、『万買物調方記』からわかります。更には、ここに名前が挙げられていない本屋もたくさん存在していました。既に17世紀後半には少なくとも都市部においては大衆的な娯楽作品から、堅い内容の学問的な専門書まで、幅広いジャンルの書物が製作され、販売されていたことがわかります。

寺子屋

18世紀末に刊行された勝川春湖(かつかわしゅんこ)という絵師が描いた絵本『絵本栄家種(さかえぐさ)』(1790刊)(図3)には、江戸時代における民間の教育機関である寺子屋(てらこや)の様子が描かれています。

Ehon sakaegusa 図3. 勝川春湖『絵本栄家種(ぐさ)』1790刊 半二冊 色刷 手習いの図
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図の左側の、机に座って筆を持っている少年ふたりは「手習い」といって、手本となる文字を繰り返し書く練習をしています。紙の節約のために、何度も何度も同じ紙の上に、重ねて墨で書いているので、紙全体が真っ黒になっています。図の右側で赤ん坊を背負っている女性が師匠で、彼女の前に座っているふたりの女の子は書物を拡げて、そこに棒で文字を指し示しています。このふたりの女の子が行っているのが「素読」といって、漢文で書かれた書物を、師匠に教わった通りに繰り返し音読しています。彼女たちが持っている棒は「字指し」といい、これで本文をなぞりながら読み上げてゆきます。書くことと読むことの両方を、徹底的な反復によって身体に刻み込むというのが寺子屋の主な学習方法でしたが、それも書物なしには成り立ちません。

日常生活を営む上で必要な読み書き、そして計算能力を身に付けるにあたっては、寺子屋が庶民にとって最も身近な教育機関でした。その寺子屋で使用する教科書にあたる書物は、江戸時代を通じて数千種類もの膨大な数が出版されています。

19世紀中葉に刊行された『絵本庭訓往来(えほんていきんおうらい) 』(図4)はそうしたもののひとつですが、人気絵師である葛飾北斎(1760-1849)が挿絵を担当したために、通常より広いスペースが絵に割かれています。ここにも、寺子屋で人々が学習をする姿が描かれています。

Ehon teikin ōrai 図4. 葛飾北斎画『絵本庭訓往来(えほんていきんおうらい)』〔19世紀〕刊
左:巻頭部/中:寺子屋の図/右:表紙
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また『女大学(おんなだいがく) 』(図5)という本は、女性が生きてゆく上での様々な教訓が書かれた本ですが、ここにも口絵に女性の寺子屋師匠から素読を習っている少女の姿が描かれています。江戸時代の庶民向けの啓蒙的な出版物の中には、このように書物で学習する庶民の姿がしばしば描かれています。

Onna daigaku 図5. 貝原益軒『女大學』1844年刊
左:刊記/中左:口絵/中右:見返し/右:表紙
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そうしたあり方は、徳川将軍家が政治の表舞台から去った明治時代に入ってからも、やや形を変えながら続いてゆきます。1868年の明治維新以後、日本は西洋の価値観や制度を積極的に採り入れることで、近代的な国民国家としての体裁を整えてゆきますが、そうした時期に刊行された土居光華(どいこうか)(1847-1918)の著作『近世女大学(きんせいおんなだいがく)』(1874年刊)(図6)は、そのタイトル通り、新たな『女大学』といえる書物です。

Kinsei onna daigaku 図6. 土居光華編『近世女大学』1874年刊
左:本文冒頭部/中左・中右:口絵/右:巻頭部
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表紙をめくると「男女同権、夫婦一体」といったスローガンが大きな文字で書かれ、口絵にはそのスローガンに相応しい、西洋人及び日本人の夫婦のそれぞれ仲睦まじい姿が、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)(1831-1889)によって描かれています。もうひとつの口絵では、西洋人の女性教師が、いかめしい顔つきで「Attention all!」と声を上げ、西洋人の少女たちが本を広げている教室での光景が、西洋画風に描かれています。『近世女大学』が刊行される2年前にあたる1872年には、日本において初めて、国家の主導による近代的な教育制度が確立しており、『近世女大学』はそうした新時代の幕開けにふさわしい価値観を謳った書物ということができます。ただその一方で、この『近世女大学』は、女性に読書を奨励し、また読書する女性の姿を繰り返し口絵や挿絵に入れてきた江戸時代の啓蒙的出版物の伝統的な様式を受け継いでもいるのです。

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古書から読み解く日本の文化: 和本の世界

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