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正倉院

正倉院
Warehouse in the temple
© Keio University

このコースでは、隋時代(7-8世紀)に作られた中国の書籍が、日本に運ばれ模倣された事実を、実際に伝わる書籍の原本を通して紹介しています。

各ステップで扱う事例は、私たちに、東洋の書籍文化を知るための、強い示唆を与えてくれるでしょう。それは、古代の書籍が現代まで伝わるという事実そのものが、日本の、そして東アジアの書籍文化の一端であるからです。そうした書籍や一群の文物は、ある宝庫の存在に拠り、保たれてきました。この奇跡の宝庫は、広く「正倉院」と呼ばれています。

正倉院という名称は、正倉を主要な施設とする院区、収蔵庫を置いた区画という意味で、奈良時代に、官署や大寺などの各所に作られた。しかし現在は、奈良時代の正倉が今日まで遺された稀有の存在である、奈良東大寺の正倉院を指す呼び名として使われている。正倉院は、奈良時代の天皇家と政府が蒐集した文物を、今日に伝える貴重な機関である。

今日では、その正倉院を、日本国政府の管理する体制がとられている。具体的には、内閣府に帰属する宮内庁正倉院事務所が、倉庫の遺構と収蔵品の管理を行っている。これは正倉院の宝物が、聖武天皇や光明皇后の遺品を始め、皇室ゆかりの品々を数多く含んでいることから、明治政府の重んずる所となったためで、早く明治8年(1875)までに官有とされている。

このような現状は、東大寺がもと聖武天皇の発願によって造られ、国の営んだ寺院であったことに起因し、奈良時代(710-784)の日本が、仏教への信仰を国家経営に取り込み、統治の力として用いたことを背景とする。

正倉院の宝物には、古代以来の伝世品に加え、20世紀になって国の管理下に置かれた品物も含まれる。東大寺の尊勝院という支院の、聖語蔵という蔵に保存されていた大量の経巻がそれで、光明皇后や称徳天皇光仁天皇ゆかりの一切経を含むという特色がある。

さて、正倉院の建物は、校倉造りとして知られる高床式の収蔵庫で、気温と湿度の変化から長く宝物を護って来た。現在、宝物は新たに建造された収蔵庫に移されているが、もと置かれていた倉内の区画によって資料の性格が異なることから、北倉、中倉、南倉という区画によって整理され、呼び分けられている。

正倉院の宝物としてよく知られるものは、天平勝宝8年(756)聖武天皇の崩御に際し、数度に分け光明皇后によって奉納された北倉の名品で、天武天皇以来伝わりの皇室の財を収めてきた欅製の厨子、唐や新羅から輸入した書画や衣料、唐朝との通交によって得た西域風の琵琶(fig.1)など、ユーラシアを貫く交易路を通じ運ばれてきた品々が含まれる。

Biwa, instrument Fig. 1. 正倉院/五絃琵琶(平成三年 正倉院展図録)
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北倉の宝物にも若干の書籍があり、例えば聖武天皇筆写の雑集、光明皇后書写の楽毅論など、自筆の書巻は、奈良時代盛期の書籍文化をよく体現している。また中倉の遺品ではあるが、初唐の文人 王勃 (649-676)の詩序(fig.2)を収めた書巻は、日本でも流行した宮廷文学の手本となり、仏教経典以外の書物としては日本で最も早く、慶雲4年(707)までに写されたものである。その姿を見ると、色替わりの麻紙に独特の筆法で記された書の作品であり、則天文字を用いた文字資料としても貴重とされる。

4 pictures of books, Shijo Fig. 2. 宮内庁正倉院事務所/詩序(1-4)
[][中央左][中央右][]

中倉の蔵品には、大量の古文書類を整理した書巻や、その断簡などで、奉写一切経所などと呼ばれる、写経のための機関で使用した文書の集積があり、一般に「正倉院文書」と呼ばれている。東大寺に置かれた写経所は、国家事業としての仏教経典の書写を行う行政機関であり、その文書は一種の公文書に当たる。これを分析すると、当時の写経事業や官署運用の様子がわかる他、文書の用紙が、他機関の公文書を再利用したものであったことから、奈良時代の行政を知るための、貴重な資料となっている。

中倉および南倉のその他の宝物は、東大寺の創建維持に関わった役所である、造東大寺司関係の品々と、幡や衣裳、伎楽面など、大仏開眼の供養、聖武天皇の葬儀といった、奈良平安時代の東大寺の儀礼に使われた用度品を保存したもので、ペルシャ製のカットグラスなどの名品も知られる。

さて、正倉院中倉伝来の文書には、宮廷の主導で一切経の書写がいく度も繰り返された事実が知られる。この一切経とは、当時手に入る全ての仏教経典を集めた、5000巻にも上る一大叢書である。その成果の一部が実際に、東大寺尊勝院の聖語蔵に遺されていた。上述のように、現在はこれも正倉院の宝物に含まれる。

聖語蔵経巻には「光明皇后御願経」または「五月一日経」と呼ばれ、天平12年(740)5月1日の願文を伴う、光明皇后発願書写一切経の大半を含む他、神護景雲2年(768)に発願された「称徳天皇勅願経」以下、奈良時代中後期に作られた、多くの一切経の一部を伝えている。本コースの講義で紹介した、斯道文庫収蔵の四分律や、慶應義塾図書館の大方広仏華厳経巻14(fig.3)は、これらの聖語蔵経巻の一部が、早くに民間に流出したものである。

Sutra Fig. 3. 大方広仏華厳経 詳しい書籍情報と高画質画像は特設サイトでご覧ください。
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また幸いなことに、聖語蔵経巻の中には、奈良時代の写経の親本とされた、中国唐時代の古写経数点も含まれており、隋大業6年(610)書写の賢劫経(fig.4)、唐写本の四分律などが、その実例として挙げられる。これらは、敦煌など西域発見の出土文献を除けば、7-8世紀に当たる隋唐時代の、中国の書籍の実態を伝えた、無二の資料と言えるであろう。

Sutra Fig. 4. 正倉院聖語蔵/隋大業6年写本・賢劫経(平成七年 正倉院展図録)
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さらに、のちに聖語蔵に増加された平安時代 の経典の中に、刊年を明記したものとしては日本最古の出版物である、寛治2年(1088)刊行の、春日版成唯識論(fig.5)があったことは、日本の出版史にとり、極めて重要な証言となっている。

Sutra Fig. 5. 『成唯識論』(春日版)寛治刊本・宮内庁正倉院事務所 [左:巻十] [右:巻一]

このように正倉院には、日本の古代や、中国では中世に当たる7-8世紀の文物を始め、貴重な典籍が長く集積され、東洋の書物の実態を、伝世の品々によって目の当たりに知るための、多くの原本資料が保存されている。そしてその背景には、仏教東漸という文化現象の、強く働いていたことが看取される。

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