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博士家から学僧へ

博士家から学僧へ
© Keio University

平安時代以来、博士家の伝統が厳しく守られたことは、前節で述べましたが、室町時代になりますと、武家の力も伸びてきますし、その武家に保護された禅宗を中心とした学問僧も端倪すべからざる勢いを有して参ります。

時代とともに、知識人の層が厚くなるのは世の常でしょうが、その趨勢には博士家も抗しきれず、書物を手に入れようとする人々の意識は、秘説を守ろうとする博士家の姿勢をも変えていくことになるのです。

南北朝時代の中頃、正平19年(1364)に、泉州(大阪)堺の人が、『論語』を日本で初めて出版しました。出版印刷の技術は、日本では、平安時代からかなりのレベルに達していて、仏典の出版は、特に、高野山や興福寺など、奈良一帯で盛んに行われ、鎌倉時代には、京都や鎌倉を中心とした禅宗の寺院で、仏典のみならず、外典についても開板事業が行われていました(五山版・ござんばん)。しかし、秘説として秘められていた『論語』のテキストは出版しようとする人々にはなかなか手に入りませんでした。

こうした時代にあって、学僧の優れた者が、博士家の信頼を得て、博士家の家本を伝授され、篤志の者の協力を得て『論語』の出版に漕ぎ着いたのであります。正平版『論語』(fig.1)の誕生で『論語』は秘伝から解放されることとなったのであります。

Old Book Fig.1 『正平版論語』
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戒光院という寺院の什物として『論語』の写本(fig.2)が伝えられているものをみると、もはや、『論語』は、博士家の秘伝という観念から知識人の教養書という捉え方が一般的となりました。

Old Book Fig.2 『論語戒光院本』
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更に、天文2年(1533)には、博士清原宣賢が堺の出版家、阿佐井野氏(あさいのし)の請いに応じて、家の秘本を貸し与え、天文(てんもん)版『論語』(fig.3)の出版が行われました。『論語』の普及を不動のものにした画期的な出版でありました。本書は江戸時代にも多く刷られ、戦前までその版木が堺の南宗寺(なんしゅうじ)に遺っていましたが、残念ながら、戦禍に失われたようです。

Old Book Fig.3 『天文版論語』
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また、足利学校の活躍も、大変大きく、『三略』(fig.4)などの兵法書とともに『論語』の写本がたくさん作られました(fig.5)。

Old Book Fig.4 『黄石公三略』
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Old Book Fig.5 『論語(魯論)』
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これらの『論語』を見てみますと、古い『論語』がもう私たちのすぐそこまでやって来た、と言う感じがいたします。

さて、それでは、博士家が大切に守ってきた『論語』は、この学僧たちの活躍のなかで、どのような運命を辿ったのでしょうか。

書籍情報と高品質画像は特設サイトでご覧ください。

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