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官版

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© Keio University
昌平坂学問所は、寛政11年(1799)から慶応3年(1867)までの約70年間に、210点あまりの漢籍を出版しました。これらを官版(かんぱん)と呼びます。
官版とは「政府の出版」という意味ですから、幕府の他の機関や、明治維新後の政府の出版物にも使われるのですが、出版史・学問史の専門用語としては、昌平坂学問所による出版物のみを指すのが普通です。
すでに述べたように、寛政異学の禁と連動して、朱子学奨励を目的として始まったものであり、朱子学関係の著作が多く含まれるのは当然ですが、それ以外にも文学関係の著作の出版も60点以上あります。

『誠齋詩話』(せいさいしわ)

Old Book 図1 『誠齋詩話』享和2年(1802)刊
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書籍情報と高品質画像は特設サイトでご覧ください。
全文は国立国会図書館デジタルコレクションで公開(SEE ALSO[1]参照).
これは明治42年(1908)に残存していた版木を用いて印刷した「昌平叢書」のなかの一冊です。
南宋の詩人楊万里が著した漢詩についての随筆のようなもので、単行本としては中国でも日本でも刊行されず、『四庫全書』に初めて収録されたものです。したがって、この本も『四庫全書』に基づいています。
『四庫全書』は清の乾隆帝が全国各地に伝わる漢籍を集めさせ、学者を動員してその解題を作らせた上で、書写、保存した中国の書物史上画期的な叢書です。このうち、それまで刊行されたことがない書物を選んで転写した『四庫全書無版本』という叢書が、長崎を通じて日本に輸入されていました。大変貴重な書物で、日本全国で3点しか確認されていません。その一つが昌平坂学問所にあり、現在国立公文書館に所蔵されています。
そうすると、この本はそれを用いたと考えられるのですが、不思議なことにその写本は、文化4年(1807)に蔵書として登録されたものです。つまり、本書刊行以後ということになります。別の写本を用いたのか、あるいはだれか昌平坂学問所関係者の個人蔵書であったものを官版刊行の底本として用いた後に学問所蔵書としたのか、今後の検討課題です。
冒頭には、中国の学者が記した解題(「提要」)が載っています。
ほんの一例をお示ししただけですが、このように、官版の出版については、中国の最新の学問状況に対して敏感に反応している様子が見て取れます。また、楊万里は、他の南宋の詩人たちとともに、当時の漢詩人たちが大変好んだ詩人でした。そのような日本国内の文学思潮にも対応した書目選定です。
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This article is from the free online

古書から読み解く日本の文化: 漢籍の受容

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