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服装について

服装について

福澤は、情報発信やコミュニケーションのツールとして、着ている服にも強い意識がありました。どんな特徴があるのでしょうか。再び大分県中津市の中津駅前からビデオで紹介します。

服装
袴をはかない着流し姿の福澤諭吉

福澤は、近代社会に生きる人々が様々な情報に接しながら自己を形成していくことを認識していました。福澤自身が情報の巧みな発信者でありました。また一人一人が情報の受け手としてのリテラシーを持つことの重要性を認識していました。

福澤は注目される自分の姿をメディアとして、新しい思想を発信し広めようとしました。着ている服は日本の伝統的な着物。ただし、封建社会の日本では、同じ着物でも身分によって着方が異なっていました。

袴は支配者の階級である武士の身分を示す役割を持っていました。日本では明治維新後の 1871(明治4)年に身分が撤廃されましたが、サムライの階級だった人は引き続き袴をはきました。特に武士階級出身者が多かった役人や学生などは、みな袴をはくことが常識でした。

一方、袴をはかない着流し姿は、江戸時代の町人の典型的な服装で、明治時代には平民の典型的な服装でした。福澤は、制度的に身分がなくなっても、服装のような日常のささいなことの中に特権意識が残り、容易に抜けないことを見て取りました。単に服装という形に留まらず、袴をはかない者は、社会の中でも被支配者としていつまでも萎縮し、主体的に社会に参加する意識をもたない消極的な人間になると考えたのです。一人一人が自分で考えて行動する自由で平等な社会のためには、このようなささいな「形」を、変化を導く糸口にすることができると考えたのです。福澤は次世代の人材を育成する教育の場で、このように平民を象徴する服装を進んで身につけて学生に見せ、慶應義塾の学生にもこの服装が広まり、袴をはかないことが福澤の塾のトレードマークとなりました。明治維新後は、各地の藩主たちやその家臣が慶應義塾に入学するようになりましたが、彼等も等しく平民の服装をしていました。

袴と着流し

服装という視覚的な情報に潜む、身分的な特権意識や不平等な社会関係を発見し、その改革を促した試みが、実はこの福澤の服装なのです。福澤は「旧藩情」という論文の中では、身分の違いが、言葉の使い方や、日常生活の過ごし方、結婚などにも大きく影響を与えていたことを詳しく記録しています。福澤は、誰に対しても同じ丁寧な言葉遣いで話すことでも知られていました。総理大臣でも自分の妻や子供でも同じように丁寧な言葉で話しました。このような些細な日常の一コマの積み重ねが、真の自由や平等ということが持つ意味や価値を、多くの人々に考えさせ、行動を起こさせました。当たり前に日々繰り返されることの中にこそ、変化や成長を妨げるものがあることに、多くの人が自分の頭で気付く補助線を引くことに役立ったのです。

このStepで紹介された著作

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日本の近代化: 福澤諭吉の格闘

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