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アントニオ・パニッツィと改革運動

英国博物館の図書館改革に取り組んだアントニオ・パニッツィという人物に迫ります。
Dr Kristian Jensen Dr Kristian Jensen, 前・大英図書館収書・司書部長、現・欧州研究図書館議長

1862年、欧州の重要な図書館をいくつか訪ねた福澤諭吉は、その規模の大きさ、またそれらが公共施設として機能していることに感銘を受けました。

彼はこれらが日本の教育文化の近代化におけるモデルになると考えました。その当時はまさに根源的な近代化の動きが生じた直後であり、変革プロセスの最中にいる国々に実際に身をおくことで、福澤はその近代化の様子を詳しく探りました。この変革のプロセスはまた、彼が訪問した図書館にも反映されていました。しかし、これらの施設は由緒ある歴史を持つにもかかわらず、彼の訪問のほんの少し前に、極めて根本的な再建がなされたことに、福澤は気付いていなかったでしょう。

1862年、サンクトペテルブルクでグーテンベルク聖書の複製を見て、福澤は感動しました。しかし、ロシアの近代化を支える図書館の急速な拡大の象徴として、この複製本が帝国公共図書館にもたらされたのは、福澤の訪問の僅か4年前のことでした。

Sir Anthony Panizzi Sir Anthony Panizzi
アントニオ・パニッツィ (‘Men of the Day, No. 77.’) by Carlo Pellegrini chromolithograph, published in Vanity Fair 17 January 1874 NPG D43623 アントニオ・パニッツィ by Richard Cockle Lucas wax medallion, 1850 NPG 2187

福澤諭吉が大英博物館を訪れたのは、本ステップの主題であり、主任司書(大英博物館の館長職)に就任していた、アントニオ・パニッツィ(Antonio Panizzi)の、類まれなキャリアの終盤期と重なります。

The British Museum: the reading room View of the Round Reading Room
大英博物館:建設中の閲覧室 木版画 J. Brown after C. W. Sheeres, 1855. Wellcome Collection. 大英博物館 円形閲覧室 c.1924 写真 / 1857年に開設され、150万冊という驚異的な冊数の本を所蔵するスペースと、当初の設計通り302人の利用者を収容可能なスペースが生まれた。 © The Trustees of the British Museum

クリスチャン・イェンセン博士徳永教授とのインタビューで、パニッツィによる大英博物館図書館の改革についてを語りました。パニッツィとはどんな人物でしょうか? 改革運動とはどのようなものだったのでしょうか?

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旅する書物:日本とヨーロッパの歴史のなかで

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