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日本の若者サブカルチャー

William M. Tsusui, “Nerd Nation Otaku and Youth Subculture in Contemporary Japan.” In Education about Asia 13.3 (2008)
© Keio University

オタクとはどのようなものでしょうか?皆さんは、どのような類の人たちをオタクと考えていますか?

ここでは、ウィリアム・M・ツツイが自身の著作である、“Nerd Nation: Otaku and Youth Subculture in Contemporary Japan” in Education about Asia 13.3 (2008) (アジアについての教育 13.3 (2008) (オタクの国:現代日本のオタクと若者のサブカルチャー)” の中で語っている内容に目を通すことにより、学者たちの考えを理解し、オタク、熱狂的サブカルチャーファン、および日本における若者文化とそれらとの関連性について分析してみましょう。

若者文化とオタク

皆さんの中には、日本のサブカルチャーは、いわゆる ”nerds” すなわち「オタク」と呼ばれている人たちの間でのみ人気があるだけ、という考え方をしている方がいるかもしれません。では、「オタク」と呼ばれる人のアイデンティティはどのようなものなのでしょうか?「オタク」気質とはどのようなものなのでしょうか?ウィリアム・M・ツツイは、次のように論じています。

ウィリアム・M・ツツイ「Nerd Nation Otaku and Youth Subculture in Contemporary Japan(オタクの国:現代日本のオタクと若者のサブカルチャー)」『アジアについての教育』13.3(2008):12~18頁(以下論文より引用)
第二次世界大戦以来、様々な若者サブカルチャーが日本に生まれた。その多くが、快楽的・自己中心的・反社会的と見なされた態度によって、上品な感覚の持ち主に衝撃を与えるとともに、メインストリームの社会を侵食した。世間一般と学界の双方において、最も注目を集めたサブカルチャーはオタク文化である。オタクとは、マンガ、アニメ、ゲーム、その他の形態の日本の大衆文化を過剰に愛好することで知られる人たちだ。一般的に「nerd」や「geeks」と呼ばれるオタクは、日本では一括りに、社会不適応の若い男性で、外見には魅力がなく(のろまで太っていて)、服装がダサく(リュックサックとウィンドブレーカー)、そして大衆文化のごく狭い分野に異常に固執している者としてイメージされる。オタクは、ある評論家によれば、「社会的能力に欠ける一匹オオカミで(略)ゴジラ映画であれ相撲の歴史であれ、難解な一分野に熱狂的に精通しており」、「慢性的に内向的で」「病的に顔色が悪く」「社会的能力に欠けた引きこもりだが、コンピュータ技術に長けている」(1)。ジャーナリストの都築響一によれば、オタクは、「見目が悪く、彼女がおらず、くだらないものを収集し(略)役に立たないものに熱中している」(2)。オックスフォード英語大辞典(Oxford English Dictionary)に2008年3月に新しく収録された定義はこれらより公平だ。
日本語からの借用:特定の趣味(特に一人で行う、または少数に愛好される趣味)の些末な詳細について非常に精通している人;(略)コンピュータ技術の使用スキルが高く、他者とのコミュニケーションが苦手と見なされている人(3)
1970~1980年代に生まれて大きな社会現象となったオタク文化は、恐怖や不興、誤解を引き起こすと同時に、多くの人を魅了した。日本におけるオタクというアイデンティティの誕生は、文学、映画、そして美術運動を刺激し、これらの運動は、熱狂的なファンのサブカルチャーを称揚もしたが、忌避するものもあった。世界中で、日本の大衆文化(とくにアニメとマンガ)の愛好者が、オタクというレッテルに喜んで甘んじ、日本の激しく熱狂的なファンの習慣を模倣した。一方で、オタク文化の台頭は日本人一般の間の煩悶に拍車をかけ、日本の若年層の堕落と自己陶酔に対する往年の懸念を強めることになった。オタクの世界を理解することで、豊かさと技術、メディアが日本の若者に与えた影響、日本の活発な若者文化のグローバル化、そして日本のミレニアル世代が直面した様々な社会的難題に関する示唆が得られるだろう(12~14頁)。

オタクの新たな方向性

若者文化としての日本のサブカルチャーは、社会システムそれも特に教育システムに対する大きな破壊的勢力を構成しています。次の項では、ツツイのエッセーに描かれている日本のサブカルチャーのルーツの一つについて眺めてみることとします。
多くの心理学者や文化批評家は、オタク的行動のルーツは日本の高度に構築された、抑圧的とすらいえる、教育社会システムにあると主張する。そして、オタクの情報崇拝の原因は、大量の情報の断片を機械的に学習し丸暗記することに重きを置く日本の教育の堅固なルーティーンにあると示唆している。また、オタクの社会性に欠けた内向な性質は、統合への圧力、集団の重視、高水準の礼儀正しさといった日本社会の特徴に対する反応であると幅広く理解された。そして、オタクは実は(とくに熱狂的な仲間内では)非常に社交的であると主張する評論家がいる一方で、一部の研究者による、オタクが形成するのは社交的なコミュニティではなく血の通わないネットワークだという説にも説得力がある(略)。
日本のオタク文化は、1980年代に世間の注目を集めるようになって以来、様々な新しい方向へと進化を遂げてきた。初期のオタクの多くはとくにSF(ゴジラ映画や『ウルトラマン』などのテレビシリーズ)に熱中していたが、視覚的に豊かで想像力に満ちたマンガやアニメがすぐに最も人気のあるジャンルとなった。21世紀が始まるころには、オタクの関心はより公然と性的なものに向かうようになった。ギャルゲー(「ギャルゲーム」の略で、恋愛シミュレーションゲームを指す)が普及し、幻想を具体化した女性キャラクターがアニメやマンガに、またはコレクションフィギュアとして登場した。(略)多くの分析家が示唆しているように、オタクの嗜好がSFやアニメから、より大きな枠組の社会が変態・ポルノ・しばしばロリコン扱いする趣味へと移行した長期的動向は、1990年代のマンガやアニメの一般化に後押しされていた。一般の日本人がアニメのようなジャンルを受容するにつれ、オタクはより刺激的で攻撃的な趣味に移行し、上品な社会からの距離と洗練への抵抗を維持しなければならないと感じるようになった。ある研究者の観察によれば、「今日のサブカルチャーは、街頭暴動による抗議活動よりもゲームの戦争を、行動よりも逸脱を、(略)性の自由よりもエロチックなファンタジーを、そして実存的不安よりも空虚なアイデンティティを選ぶ」のである(4)。(15~16頁)

皆さんの考えは?

今学んだように、日本のサブカルチャーは、高度に競争的な社会的背景から生まれたものです。皆さんそれぞれ自国の若者文化について考えてみてください。若者文化に何か特別な影響力がありますか?もしあるなら、どのように影響しているのですか?commentsの入力フィールドに皆さんの考えを入力して、他の受講者と共有し合いましょう。他の受講者のコメントを遠慮なく自由に読み、応答してください。

© Keio University
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日本のサブカルチャー入門

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