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五山僧の移り変わり

五山僧の移り変わり
五山僧は、五山版による学習で培った学力を、寺院での活動ばかりでなく、足利幕府との強い関係により、中国通の知識人として、武家の諮問に答えるなど、世俗の活動に用いていました。

とくに、天龍寺船や勘合船など、日元、日明間の貿易を目的とする外交団の派遣には、五山僧が外交文書を起草したばかりか、五山僧自身が使節として同行しました。このように室町時代には、五山僧は漢文を操る人材として、世俗的用務に活躍します。

一方、室町時代前期までに、五山版の刊行は一段落を迎えます。これは、世代が移り来朝刻工の活動が少なくなったことと、日明貿易の発展により、中国の書籍が流通し始めたことも背景にありますが、五山僧の学問の範囲が定まり、書籍普及にも飽和状態の生じたことが、主な原因と思われます。

しかし、京都を中心に日本中を巻き込んだ応仁・文明の乱が起こると、五山僧の活動にも変化が兆します。まず一つには、足利氏の権威が低下し、政治経済的な求心力が衰えます。その代わりに、各地の守護が領国への定着と開発に力を注ぎ、細川氏や大内氏など、貿易に関わる港を押さえていた大名は、その権益を私して、領国の繁栄を誘導し、戦国大名となりました。そこで禅僧たちも、戦国大名との関係を深めるために、その領国に下って活動するようになります。またもう一つには、五山僧自身の世俗化が進んで、仏事が儀礼的となる一方、むしろ漢学の専門家、教師として僧籍を離れ、還俗する者が現れます。

© Keio University
This article is from the free online

古書から読み解く日本の文化: 漢籍の受容

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