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杜牧「山行」詩の解釈

杜牧「山行」詩の解釈
三躰詩鈔』(漢詩集『三体詩』の解釈書)によって、中世禅僧の漢詩解釈の様子を見てみましょう。

この注釈書は16世紀半ば、建仁寺の関係者である塩瀬宗和によってまとめられたものです。残念ながら全体の三分の一くらいしか残っていませんが、建仁寺両足院には完全な写本があります。

この本には、建仁寺の僧侶英甫永雄(えいほ・ようゆう、1547-1602)の蔵書印が捺されています。書写年代は16世紀末とみられます。

書籍情報と高品質画像は特設サイトでご覧ください。

Old Book 図1 『三躰詩鈔』巻首
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これは巻頭部分、壺のような形のなかに「永雄」と記された英甫の蔵書印があります。

Old Book 図2 『三躰詩鈔』山行
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杜牧「山行」

具体的に唐の詩人杜牧(803-852)による「山行」の注釈部分をみていきましょう。まず、作品の本文は以下の通りです。

原文 日本語訳
遠上寒山石径斜 遠く寒山(かんざん)に上れば 石径(せきけい)斜めなり
白雲生処有人家 白雲(はくうん)生ずる処(ところ) 人家(じんか)有り
停車坐愛楓林暮 車を停(とど)めて坐(そぞ)ろに愛す 楓林(ふうりん)の暮れ
霜葉紅於二月花 霜葉(そうよう)は二月の花よりも紅(くれない)なり

日本語訳

これに対して、全体の日本語訳は次のように書かれています(送り仮名や句読点を補うなど読みやすくしています)。

(第一・二句)

山峰ヘ遠々ト上ラントスレバ、石高ナル径ニテ悪シキ也。行キ難キ処カ。 人家ハ結句白雲ノ生ズル処也。絶頂ニアル也。 石径ノ難路ヲ凌ギデ登ランモ、大儀ト思フテ(山ヘ上ラウトシテ、未ダ上ラザル時ノ詩也)、
(第三・四句)
先ヅ山下ニ車ヲ停ムレバ、偶然トシテ楓林ノ面白キヲ見付ケタレバ、ヤラ面白ヤ、二三月ノ花ヨリモ、猶ヲ霜葉ガウツクシク見事也。 (「坐」トハ偶然ノ心也。我ハ山上ヘ上ラン為ニコソ来タレヂヤガ、余リ楓林ガ面白サニ、何トナウ車ヲ停メテ愛スル也)

前半は、これから山に登ろうとして、山道に足を踏み入れた時の様子です。石がごつごつしていて歩きにくいところを延々と登って、山頂にある人家を目指さなければいけないので、大変だなあと思っている、と注釈者は、作者の心の中まで推測して述べています。

後半は、ここまで乗ってきた車を停めて、ふと見ると秋の霜が降りて赤く色づいた楓の林が目に入り、春の花も美しいが、紅葉はそれに勝るとも劣らない美しさだ、としばし目を奪われる、と述べています。

解釈

ここから注釈は、三つの解釈を列挙します。

第一は、「続翠(ぞくすい)」すなわち、建仁寺で活躍した江西龍派(こうせい・りゅうは、1375-1446)の説です。彼は、この詩には「下心」(したごころ)、すなわち、言葉の表面には現れない、作者の隠された意図、本当に言いたいことがある、とします。それは、今の朝廷には小人(しょうじん)、すなわち、自己の利益しか考えない、人格の劣った人々がいて、作者の杜牧は活躍できず、さまよっている、ということを描いた詩である、とします。「白雲生処」は朝廷、「山」は皇帝、「霜葉」は小人、「二月花」は君子、すなわち、人々のことを考える人格高潔な人(作者自身と言ってもいいでしょう)の比喩と捉えるのです。紅葉は霜が降りればすぐに散ってしまう、はかないものではあるけれども、あまりに美しいために、皇帝も一時目を奪われてしまって、本来もっと美しい花には注目しない、というわけです。

つまり、単に風景を描いた詩であるかのように見えながら、その奥に、現在の政治に対する作者の不満が隠されている、と解釈したものです。

第二は、わざわざ山頂まで行っても、どうせ人家があるだけだから、登らずに、ここで紅葉を見て楽しんでいるほうがましだ、という気持ちを表現している、とするものです。これは、「下心」を読み取らない解釈ですが、作者の気持ちを、やや投げやりな感じに捉えています。

第三は、宋代の儒学者・詩人の呂本中(1084-1145、字は居仁)の説を引用したものです。

杜牧にはかつて結婚を約束した少女がいたが、しばらくぶりに再会すると、すでに二人の子どもの母親になっていたが、その美貌は、今時の十七〜八歳の年頃の女性よりも素晴らしい、という意味だというのです。すなわち、「霜葉」が再会した女性、「二月花」が十七〜八の女性の比喩になっています。

この三つの解釈について、やはり建仁寺の僧侶九淵龍琛(きゅうえん・りゅうちん、1398?-1474)は、三つともよくない説だが、まだ第一の説はましであろう、としつつ、「只自然ノ景也」と、美しい風景を素直に描いた叙景詩である、と結論づけます。結局、「下心」を読み取るのか読み取らないのか、はっきりしません。

先行する説を列挙した塩瀬宗和は、最後に自分の意見として「打チムイタ山行マデ也。別ノ心ハナイゾ。此義ガヨイゾ。淵ノ義、第一義ト同」と付け加えています。単なる山登りの詩であって、別の意味(つまり「下心」)はない、と考えています。

このように、詩の解釈において、「下心」を読み取ろうとする傾向は、この詩においては否定的ではあるものの、全体としてかなり強く存在します。

© Keio University
This article is from the free online

古書から読み解く日本の文化: 漢籍の受容

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