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「バトルもの」の語りのパターン

The Narrative Patterns of the Youth’s Battle Stories
© Keio University

残念ながら、戦争や戦闘は未だ地上から根絶されてはいません。そのため、バトルもののヒーローが直面するような激しい戦いに遭遇する可能性があるかもしれません。しかも彼らの超能力は与えられないままで。

当然、より平和な形の競争なら、実際に体験する機会はずっと多くなるでしょう。いずれの場合でも、現実の人生においては結果を予め見通すことはできませんし、敵や対戦相手の能力はさまざま、また戦いに何度出くわすかも予測不可能です。

バトルの語りの構造と「パワーインフレ」

対照的に、創作物としてのバトルものでは、そのような気まぐれは許されません。バトルの物語には、独自の「文法」あるいは「詩学」とでも言うべきものがあり、それによって視聴者を楽しませ、納得させるのです。そこでは、主人公は敵または対戦相手を最終的に打ち負かすことが期待されています。仮に負けたとしても、主人公は必ず生き残り、負けた経験を未来の成長の糧にしなくてはなりません。そして、語りの緊張を維持するために、「次の」敵や相手は必ず過去の対戦相手よりも強く、高い技術を持っているか、倒すのが難しい存在でなければならないのです。

これは、日本の漫画/アニメファンには「パワーインフレ」としてよく知られている現象で、バトルの語りの詩学がもたらす論理的帰結です。読者・視聴者の注意を引きつけるために多種多様なバトルを描く必要がある一方、魅力を維持する上で欠かせない要素であるヒーローの成長は、多くの場合勝利し続けることによって示されます。さらには、このプロセスは物語が続く限り終わることはありません。その典型例はむろん『ドラゴンボール』でしょう[fig.1]。はじめ冒険の旅の物語であったこの作品は、武術という要素のお蔭で途中からバトルの物語に転じます。主人公の悟空は、初めこそ武術に優れた活発な男の子に過ぎませんが、次々と現れる強敵と戦うため、最終的には惑星をも破壊できる力を持った超人に成長します(鳥山明自身が監修した最新のアニメ映画やテレビアニメシリーズでは、悟空は破壊神とすら互角に戦う半神に変身しています)。

Dragon Ball Fig.1. 『ドラゴンボール』28巻 p7 ©鳥山明 バードスタジオ 集英社 1991年

さらなる高みを目指して——トーナメントシステムの機能

言い換えれば、この種の語りが採用しているのは、参加者がチャンピオンを目指して競争を勝ち抜こうと努力する「トーナメント」システムなのです。Step 2.11でも見たように、まさしくこの点で、高校野球はバトルの物語と強い親和性を持っています。バトルをスポーツのトーナメントのような形式で描く物語は、主人公が決勝戦に勝ち優勝することで幕を閉じることができます。学生を扱う物語だと、結末として他のデバイス、例えば卒業を利用することもできるでしょう。日本の中高生は通常3年で学校を卒業するため、3年という時間が何かを成し遂げるためのタイムリミットとなるのです。したがって、語りの効果という観点から言えば、主人公が最初の2年は失敗し、3年目に目標を達成して卒業するという展開が、最高のカタルシスをもたらすことになります。

最近では、八神ひろきによる『DEAR BOYS』(『月刊少年マガジン』1989~2016年連載)に、この種のエンディングが描かれています。主人公の哀川和彦は、『キャプテン翼』の翼のように、瑞穂高校へ転校生として編入し、バスケ部が部員不足と士気低下に悩んでいることを知ります。実は当時バスケ日本一の高校のエースだった和彦は、瑞穂高校バスケ部を復活に導き、わずか1年で、主要メンバーの卒業目前にインターハイ優勝を手にするのです[fig.2]。このように、トーナメント式の語りが日本の学校制度に組み込まれると、生徒の学期・年度のサイクルが各試合と密接に絡み合い、最大限の効果を発揮します。

Dear Boys Fig.2.『DEAR BOYS』21巻 p172-173 八神ひろき 講談社 2016年

終わりなき戦い

一部のスポーツは、学校教育の枠を超えてプロになることをヒーローに要求します。例えば、野球、サッカー、ボクシング、テニスなどは、日本でもそれぞれプロリーグが設けられているからです。主人公がプロの道に進むと、語りの構造全体が変化を迫られます。プロ選手にとっては、1回の勝利や敗北は将来のキャリアを決定づけるものではなく、競技を続ける限り試合も続くからです。それは終わりのない戦いの連続であり、常に成功や失敗がついて回ります。水島新司の『ドカベン』では、山田太郎やチームメイト、ライバルたちはプロ野球リーグに進み、野球対決を続けますが、高校生を縛る時間制限が生む切実さがもはや存在しないため、物語の主眼は明らかに変化しています。

森川ジョージの『はじめの一歩』(『週刊少年マガジン』1989年から連載中)に登場する幕之内一歩は、これまでのケースとは異なり、初めからプロボクシングの世界に飛び込みます[fig.3]。世界チャンピオンのタイトル獲得に時間がかかっていること自体は作品の人気のせいかもしれませんが、読者は一歩がボクシングを続ける限り、身体能力が衰えてリングに立てなくなる日まで、戦いが続くことを理解しています。

Hajime-no Ippo Fig.3. 『はじめの一歩』2巻 表紙 森川ジョージ 講談社 1990年

同様に、プロテニス競技に詳しい読者たちは、勝木光の『ベイビーステップ』(『週刊少年マガジン』2007~17)で主人公丸尾栄一郎のキャリアがどう描かれるのか、高い期待とともに見守っているところです。栄一郎はテニスを始めたときは完全な初心者でしたが、細かな分析と地道な努力によりライバルと肩を並べるようになり、プロのテニスプレーヤーになる道を選びます[fig.4]。決められた終着地点を持たないこれらの作品は、学生を主人公とする他のバトルの物語とは違う結末を追及しなければなりません。

Baby Steps Fig.4. 『ベイビーステップ』20巻 表紙 勝木光 講談社 2012年

ヒーローの成長と未熟さという矛盾

バトルの物語において、ヒーローたちの「成長」は、通常は彼らの勝利や、厳しい訓練による身体能力やスキルの向上によって示されます。すなわち、成長は比喩的に表現されるのです。ただし、この比喩的成長には終わりがありません。なぜなら、成長の終わりは、物語の終わりをも意味するからです。したがって、ヒーローたちは常に、自分より強い敵が際限なく現れる中で、「弱い」あるいは「未熟な」存在に留まっています。その一方で、ヒーローがひとりの人間として肉体的または精神的に「成長」することがほぼないのは、通常のバトルの語りにおいては、若者向けの物語の主人公として、彼らが常に「若者」であり続けるからでもあります。したがって、構造と語りの両方のレベルにおいて、バトルの物語の若い主人公は「若く」「弱く」そして「未熟」であり続ける宿命を背負っています。そのような物語を読み視聴することで、我々は主人公たちの戦いや若さの神話を享受・消費します。しかし、より重要なのは、我々が自分自身をこの若いヒーローと重ね合わせているということかもしれません。そうすることで、若者の競争につきもののつらさや必死さ、高揚や歓びといった、我々が失いつつある、または失ってしまった「青春」を彩る感情を、疑似的に体験しているのではないでしょうか。

© Keio University
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