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イサム・ノグチと谷口吉郎

イサム・ノグチと谷口吉郎
前のステップで見たように、ノグチ・ルームは谷口がノグチとの共同作業を提案したことで実現しました。このステップでは、第2研究室の建築部分を設計した谷口と慶應義塾との関わりを中心に見ていきましょう。

ノグチが空間をデザインする上で、谷口が持っていたある種の総合芸術に対する関心との共鳴が、重要なキーワードになっているということがわかるはずです。

谷口はすでに戦前から、慶應義塾の各所において建築設計を依頼されていました。彼の手により、1936年には天現寺に幼稚舎(小学校)(※1)が、翌年には後のステップで詳しく見る日吉寄宿舎(※2)が完成しています。どちらの建築物も優れた意匠のみならず当時最新の設備を有し、当局から高い評価を得ていました。

幼稚舎 谷口が設計し、1936年に竣工した慶應義塾幼稚舎(小学校)の校舎は、現在でも利用されている。(©️慶應義塾大学アート・センター/撮影:新良太) 日吉寄宿舎 リノベーションされ、甦った日吉寄宿舎南寮の現在の様子(2019年撮影)(©️慶應義塾大学アート・センター/撮影:新良太)

そうした戦前の評価を背景として、谷口は太平洋戦争後に荒廃した慶應義塾の各キャンパスの復興に際して多くの建築物を設計することになります。その中で1946年、彼は戦災によって荒廃した三田キャンパスの復興を任されました。このことは、ほとんどの建築物を失っていたキャンパスに多くの建物を同時に建設することを意味します。つまり、それらによってキャンパス全体の風景を調和させるという、めったにない機会を谷口は得ることになったのです。

谷口設計の校舎が並ぶ写真 谷口が設計した建築物が並ぶ三田キャンパス。1950年代、谷口は多くの建築物を手がけた

彼は三田の丘に第2、第3校舎、学生ホール、通信教育部事務局、第2研究室、第3研究室、体育会本部などを次々に建設していきました。戦後という新たな時代の教育の場の構築に際して、谷口は、かつて明治という新時代を先導した福澤諭吉の理想を下敷きとしました。そしてそれは、唯一福澤の時代から存在する演説館の上下窓をモダニズム建築に適応させて各建築物に取り入れることによって実現されたのです。

新たな時代を先導する息吹はさまざまな人の交流によって生み出されるという福澤のコンセプトにとって、萬來舎はまさに核となる建築物でした。そしてその跡地に建設され、後に新萬來舎と呼ばれた第2研究室も、その役割を期待されたのです。そのコンセプトに共感したからこそ、イサム・ノグチは学生も教員も身分の垣根なく集い、闊達な議論が交わされる場としてノグチ・ルームのデザイン協力を引き受けたのでしょう。
  第2研究室 谷口吉郎 第二研究室/1951年竣工(現存せず)(提供:福澤研究センター)

慶應義塾のコンセプトを離れても、おそらく谷口とノグチは共鳴する部分があったはずです。建築家と彫刻家という立場の違いはありましたが、両人とも建築と彫刻、そして庭園が相互に関係する空間デザイン、つまりある種の総合芸術を構想していたという点です。谷口は第3校舎の建設に際し、それに面する庭園に菊池一雄による《青年像》を特に求めていました。実際、谷口は以下のように語っています。

「建築ばかりでなく、「庭園」も或いは出来ることなら「絵画」や「彫刻」などの参加も得て、いわば「総合芸術」としての建築力を発揮して、この三田の焼跡に、気持ちのいい戦後の学園を建設したいと考えた。」
「このように建築と彫刻の融和はぬるい配置を許さぬ。千利休も茶器の置合わせに「ぬるい」配置を極力戒めている。そんな意味で、私も菊池さんの「青年像」は「四号館」の学窓に接近せしめ、パースペクティブの効果を引き締めたかったのであった。」
谷口吉郎「青春の館」(1950)
『谷口吉郎著作集第三巻建築随想』淡交社 1981年

ノグチ・ルームで実現した建築・彫刻・庭園のコラボレーションを考えると、ノグチは自らと近い考えをもつ谷口の誘いに、運命的なものを感じたかもしれません。

写真(予定):《青年像》が配置された第3校舎の写真→谷口吉郎作品集より
第三校舎(4号館)の前庭に立つ菊池の《青年像》。谷口もまた、複数の芸術分野を組み合わせた総合芸術を求めた(谷口吉郎作品集)

※1 幼稚舎

幼稚舎は創立60周年を前に三田から天現寺へと移転され、谷口が慶應義塾のために設計した最初の建築物でした。彼が設計した校舎は明るく開放的で、外気が流通しやすくなっています。また谷口は時代の最先端をゆく設備を求め、床下にパネルヒーティングを設置しています。後に谷口自身が設計した自尊館など、さまざまに増改築を経ても、現在までなお統一感を保っています。

※2 日吉寄宿舎

20世紀に日本に流入したモダニズム建築は急速に普及し、谷口も日吉寄宿舎において、その特徴的な様式を反映した造形を見せています。日吉の台地に3棟建設された寄宿舎はほとんどの装飾を廃し、全体の輪郭線においても表面処理においても、とてもシンプルに仕上げられています。こちらでも最新式の設備が整えられましたが、太平洋戦争により連合艦隊司令所として徴用されたため、寮としての実際の使用期間は短くなってしまいました。戦後に使用が再開されていて、取り壊しの機会を乗り越えて2012年には南寮がリノベーションされました。

© Keio University
This article is from the free online

Invitation to Ex-Noguchi Room: Preservation and Utilization of Cultural Properties in Universities――旧ノグチ・ルームへの招待:大学における文化財の保存と活用

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