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古典の普及と再利用

古典の普及と再利用
© Keio University

江戸時代は日本の歴史上、長期にわたって大規模な内乱のない安定した社会が営まれた時代でした。将軍徳川家康(1543-1616)によって開かれた江戸幕府を絶対的な頂点に据え、その下に大名によって統治される藩(地域)を置くという、幕藩体制と呼ばれる統治者間の主従関係に基づく統治システムによってもたらされた社会的安定は、都市の発展と、商品の売買の活性化による経済活動の拡大をもたらしました。またそれに伴って知識・教養や娯楽、総じていえば文化を消費し、あるいは生産する人口も劇的に増加し、文化を載せるための器のひとつである書物の需要もますます高まってゆきました。

雅と俗

ところで、文化には二つの極があります。ひとつの極は伝統的かつ高踏的で、普遍的かつ永続的な価値があると考えられてきた文化、もうひとつの極は目新しく大衆的・通俗的で、一時的な流行を過ぎると消え去ってしまうような刹那的な文化。これは音楽における、クラシカルとポップの区分のようなものです。江戸時代の人々は前者の文化を「雅(が)」、後者の文化を「俗(ぞく)」と呼び、はっきりと区別しています。時折、ポップミュージックの音楽家がクラシックの要素をとり入れたり、クラシックの音楽家がポップミュージックの曲を演奏したりするように、雅と俗も時に混じり合い、互いに刺激を与え合いながら、さまざまな文化を生みだしてゆきました。

『枕草子』のパロディ本

17世紀前半に出版された『尤之双紙(もっとものそうし)』(図1)は、この時期に盛んに作られた古典文学作品のパロディ作のひとつです。本書は初版が1632年に出ていて、ここに掲げたものはその2年後に出版された再版本となります。

Motto mo no sōshi 図1. 『尤之双紙』
左:刊記/中:本文冒頭/右:表紙
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本書がパロディの対象としているのは、11世紀初頭に、一条天皇(980-1011)の后である定子(ていし)(977-1001)に仕えた清少納言と呼ばれる女性文学者が執筆した『枕草子(まくらのそうし)』という古典的な随筆作品です。『枕草子』は高貴な妃に仕えた女性によって書かれただけあって、平安時代の貴族的な美意識を基調とした作品ですが、その中に「うつくしきもの」「めでたきもの」など「~もの」で始まり、そうした属性を持つものを書き連ねてゆく章段があります。『尤之双紙』はその形式をそのまま踏襲して「ながきもの」「みじかきもの」といった言葉で始まり、『枕草子』と同じようにそうした属性を持つものをいくつも並べてゆくのですが、そこで挙げられているものの多くは『枕草子』には決して出てこないような卑俗なものばかりで、『枕草子』の美的な雅の世界を知っている人にとっては、そちらとの落差に思わず笑ってしまいます。

パロディ作品は、その元となった古典的作品について読者が一定の知識を持っていることを前提として成立します。『枕草子』が出版されたのは、やはり慶長年間(1596-1615)の古活字版が最初です。となると『尤之双紙』は『枕草子』が出版されてから二、三十年ほどしか経ていない時期に出版されたことになります。にもかかわらず、『尤之双紙』のような書物が出現した事実は、この江戸時代前期において、古典の普及が急速に進んだことを示しています。

雅の文化の大衆化

このように雅を俗へと引き下ろすパロディ作品が生み出される一方で、あくまで雅の文化は高みにあって、人々の憧れの存在であり続けました。そうした憧れは、(語義矛盾のようですが)雅の文化の大衆化をもたらします。図2は、江戸時代末期に刊行された『詠草さとし種』(1853年刊)は和歌を創作するための簡易マニュアルです。そもそも和歌は平安時代の貴族によって高度に洗練された韻文の形式で、その後も近世に至るまで雅の文学の象徴的な存在でした。江戸時代は後半にゆけばゆくほど、和歌を嗜む人口が増加してゆき、また都市部だけではなく地方にまで和歌を日常的に詠む人々が出現するようになってゆきます。そうした需要に応えるために、こうした和歌に関する入門書は、江戸時代を通じて膨大な量が刊行されており、本書もそのひとつです。

Eisōsatoshigusa, yokohon 図2. 『詠草さとし種(ぐさ)』 横本一冊
上:表紙/下:懐紙巻様の図
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江戸時代の『源氏物語』受容

『源氏物語』は11世紀のはじめ頃に成立した、長編の物語文学作品で、今日では日本の古典文学の代表的な作品として知られています。『源氏物語』もまた1600年前後に古活字版で初めて出版され、以後、江戸時代の文化へと多大な影響を与えてゆくことになります。江戸時代の『源氏物語』受容に関する二つの書物を紹介しておきましょう。

ひとつ目は優れた源氏物語研究者でもあった本居宣長(1730-1801)の『手枕(たまくら)』 (1792年刊、図3)です。

Tamakura 図3. 本居宣長『手枕』1792年刊
左:刊記/中:巻頭/右:表紙
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本書は『源氏物語』に描かれていないエピソードを宣長が執筆した二次創作の一種ですが、古典学者である著者が、約800年前に書かれた『源氏物語』の文体模写をやってのけるという、高度な知識の上に成り立った作品です。

ふたつ目は、1829年から1842年にかけて刊行された柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(1783-1842)の『偐紫田舍源氏(にせむらさきいなかげんじ)』 という絵入りの長編小説です(図4)。この『偐紫田舍源氏』は、平安時代の貴族社会を舞台とした『源氏物語』を、室町時代の武家社会に舞台を置き換えた翻案作品なのですが、物語の筋や挿絵などに19世紀当時の江戸で流行していた演劇やファッション等の要素を採り入れた娯楽性の高い作品で、女性を中心に大流行しました。

Nise Murasaki Inaka Genji 図4.『偐紫田舍源氏』三十八編 柳亭種彦 1829~1842年刊
左上:本文の冒頭/右上:第十篇序/左下:全冊
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1833年に刊行された第十篇の序文(図4、右上の写真)で著者の種彦は、本書をどのような態度で書いたら良いのかについての逡巡を吐露しています。その序文で種彦は、老いた友人と若い友人というふたりの意見を紹介しています。老いた友人は原拠である『源氏物語』にあくまで忠実であるべきだと主張し、それに対して若い友人は『源氏物語』にとらわれることなく、歌舞伎の要素などを採り入れて、より娯楽的な方向へと自由に改変すべきであると主張したといいます。種彦によれば、本作を書き始めた頃は若い友人の意見に従っていたが、去年から今年にかけてはまた老いた友人の意見に従って『源氏物語』に寄り添う方向で書き進めているのだといい、とはいえどちらの意見に従うべきか、いまだ考えあぐねている、と述べています。言い換えれば、種彦は雅と俗の間で揺れ動きながら『偐紫田舍源氏』を執筆し続けていたことになります。

このように平安時代の貴族文化の中から産み出された伝統的な日本の古典文学の雅の世界が、数百年の時を経て出版を通じて広く普及し、膨大な数のパロディや翻案作品の源泉として江戸時代に再利用されることになりました。そのことが、現代にまで続く日本の古典観を形作った面もあったことでしょう。

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