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金沢文庫

金沢文庫
金沢文庫
© Keio University

このステップでは、日本における古代以来の写本の伝承と、中世となって伝わった中国出版文化が、ぶつかり合うようにして出来た歴史的な蔵書、「金沢文庫」について説明し、日本における出版文化成立の背景について探っていきます。

金沢文庫は、日本の「文庫」文化を知る事例としても、極めて重要です。文庫とは、ある特定の知識人、または知識集団を支えた、活動的な情報集積施設の名称です。文庫とはいったい、文化史の上でどのような役割を果して来たのでしょうか?

金沢文庫の場合、その活動の発端は、天皇を中心とする京の公家たちから、中世に自立を始めた鎌倉の武家のグループが、公家の築いた文化的資源に学ぶ、という目的のために開かれて行きました。

日本の中世前期、12世紀末に鎌倉に開かれた武家の幕府は、将軍職を奉じた源氏の棟梁を中心として関東の武士が結束し、京の公家に対抗し得る権力を手にしたが、当初、文化の領域では、専ら公家に学ぶことから素養を培った。

源氏の後継者が途絶え、その親族であった北条氏が、幕府内における勢力の扶植に成功、京から招いた武力のない公家将軍を担ぎ、執権として武家を率いるようになると、その係属から多くの幕閣が登庸され、幕政の全般を北条氏が指導することになった。特に公家将軍の接遇と儀礼の運行は、公家文化を摂取する必要を、幕府に生じさせた。

鎌倉時代中期、北条時頼、時宗政権の下でこうした重責を担った人物こそ、北条実時(1224-76)その人である(fig.1)。彼は武蔵国六浦庄(現横浜市金沢区)を所領とし、庄内の金沢の地に自邸を設けたことから、その子孫は金沢北条氏と呼ばれている。

Statue of a man - Hojo Sanetoki Fig. 1. 神奈川県立金沢文庫/北条実時像(武家の古都 鎌倉展図録)
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実時は学問を好み、公家流の学問を摂取するために、儒教の経典を読む明経道の博士、清原教隆に師事して漢学を研究し、一方でわが国の、漢文の古典である本朝続文粋や、和文の古典である古今和歌集、源氏物語のテクスト蒐集にも手を染めた。そして、長く幕政の第一線に立っていた実時は、経世の学を重んじ、博士家の訓法を通じた漢籍の解読に、次第に傾いていく。その結果として、博士家の伝えた古代以来の転写本をさらに写し、詳細な訓法と注釈を記録した。

これらのテクストを漢籍旧鈔本と称し、具体的には実時作成の、春秋経伝集解や群書治要の鎌倉時代写本が、今日に遺されている(fig.2)。こうした学問の結果、その臺本として書籍が集められ、蔵書が形造られたが、金沢北条氏の蒐集は、世代を超えて一大蔵書に発展し、後世、金沢文庫と呼ばれるようになった。そして、平安時代以前のテクストが多くは伝わらない今日、金沢文庫本の多くは、それぞれの書の最善本、最古本となっている。

Old scroll Fig. 2. 宮内庁書陵部/群書治要巻16
[左:巻尾][右:巻首]

また実時は、私的には仏教を信仰し、自邸内に阿弥陀堂を造立して仏に供養を施した。この堂舎は称名寺に発展し、老師の審海を招いて、真言律宗の寺院とされた。この称名寺は、後に金沢文庫本の伝来に、大きな役割を果すことになる。

金沢北条氏の子孫である顕時、貞顕、貞将は、実時以来の学問を継承し、幕閣としての地位を維持、三代目の貞顕は、短期間ではあるが執権職を帯びるに至った。これに伴い、金沢文庫の蔵書は増加の道をたどり、和漢の典籍、特に漢籍の全般にわたって書目が累積していった。貞顕が六波羅探題として京に勤務した経験は、法曹類林や侍中群要など、公家流の実務の書や、たまきはる(建春門院中納言日記)などの文藝書を、文庫に導き入れる機縁となった。

さらに特筆すべき現象は、この間に中国から、新しい宋刊本が多くもたらされたことである。例えば宋孝宗朝(1162-89)刊行の尚書正義、宋嘉定9年(1216)興国軍学刊本の春秋経伝集解など、唐末五代の混乱を経て、宋朝に新たに校訂されたテクストが、日宋間の貿易船により、遠く鎌倉まで運ばれていた。これらの宋版の伝来が、日本の為政者の知識を変革し始めていたのである。

宋版伝来の影響は、もっとも端的には、多様な書目として現れた。金沢文庫本を見渡すと、経史の古典に加え、子部の類書や医書、集部の宋人の文集などが収蔵に加わっている。

類書とは、百科全般に及ぶ古典のダイジェストで、天子の読書を支える書籍の小宇宙とも言える。写本時代から大部の編集が試みられてきたが、例えば宋の太宗のために編まれた巨大な類書、太平御覧1000巻は、出版事業の拡大にともない、宋代に何度か刊行されている。金沢文庫にはそのうちの、慶元5年(1199)頃の刊本が収蔵された。また宋末の版本ともなると、巨大な編集書の構造を可視化する、編題の強調や文字の大小の使い分けといった、印刷面の視覚的工夫も加わっている。

医術と医書の普及も、出版業と知識人の増加に直接関わった現象で、外臺秘要方や様々の医書が、金沢文庫本の宋版に含まれる。薬学の基礎となる動植物、鉱物学書の図註本草には、図入りの版本が行われ、これも同じく文庫に収蔵された。

伝統的な儒教の経典でも、南宋刊行の論語註疏などは、論語の注と、注の二次的注釈である疏を、一覧できるように合刻したテクストであり、こうした注疏の合編本は、写本の時代から存在したものの、宋代になり、版本として様々の分野に普及した形式である。

金沢文庫本の宋版は、その出版地においても、内陸部の蜀(四川省)本、沿海部の浙(浙江省)、建(福建省)本が、いずれも複数種含まれており、日宋貿易の中国側の拠点であった浙江省を超え、宋末の中国における書籍流通の広さを、そのまま体現している点も見逃せない。

中国で成立していた、これら宋版の内容上の特色には、テクストの整理校訂、大型化、可視化、集約化などの諸点を指摘できる。金沢文庫本は、そのいずれの事例をも包み、中世の日本と、それを取り巻く東アジアの学問世界を、凝縮したかのような内容を備えていたのである。ここに、古代以来の旧鈔本に宋刊本が加わり、それぞれの書籍を基盤とする2つの潮流がせめぎ合った、日本書籍史の中世を象徴する様相が現れている。

宋版の蒐集と参考は、公家の学問では極めて限定的であったと言え、金沢文庫本は、後世に武家の学問が飛躍する素地を準備したと言える。しかし版本の本格的使用は、やはり北条氏が鎌倉に扶植した、禅宗寺院の学問興隆に待たなければならなかった。

さて、金沢北条氏と歩みを共にした称名寺 (fig.3) は、審海の後、釼阿、湛睿と学僧を輩出して、真言律宗の大寺となっていた。彼等は、当時新たに仏教学を興隆させていた奈良の地と関わりをもち、称名寺を関東仏教学の拠点とした。

Old map of the temple in color Fig. 3. 神奈川県立金沢文庫/称名寺結界図(武家の古都 鎌倉展図録)
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こうした教学の基盤として、福州版の宋版大蔵経が寄進され、円種のような入宋僧が、宋版の教学書を輸入し蔵書に加えていく。また歴代の学僧は、経論の注釈や解義という形で研鑽の結果を著し、自らも書籍を産み出した。真言密教の秘儀伝授も、秘法と儀礼の細則を書物に托し、聖教と呼ばれる仏教典籍群を形成する。

鎌倉時代の奈良の地は、当時の出版印刷の先進地であり、こうした事業も、称名寺や周辺の寺院に波及し、仏典の版本が経蔵に加えられた。

これらの称名寺収蔵は、本来の金沢文庫とは歩みを異にするものであったが、元弘3年(1333)鎌倉幕府が滅亡すると、金沢貞顕は執権北条貞時とともに自刃、貞顕の子の貞将も戦死を遂げた。これに伴い金沢文庫は、称名寺の接収管理する所となり、称名寺聖教と共に伝えられた。

しかし金沢文庫本は、上杉憲実や北条氏政、豊臣秀次、徳川家康、前田綱紀といった、学問や書籍に関心を寄せた武人によって庫外に持ち出され、室町時代以降、近世に四散してしまう。その結果、多くの伝本が失われた一方、足利学校遺蹟図書館、国立公文書館内閣文庫、名古屋市蓬左文庫、前田育徳会尊経閣文庫、宮内庁書陵部図書寮文庫など、近代に成立した日本の主要な文庫に、それぞれの収蔵を代表する善本として引き継がれている。

なお現在では、称名寺に残ったわずかな例外の他、散佚の前に捺された「金澤文庫」の印記を検出することで、ようやくその旧蔵であることが判明する。これは、文献学における印記判別の重要性を示した、好例とも言える。

さて、金沢文庫の活動が停止した後、日本における書籍蒐集の主役の座は、鎌倉時代に、来朝僧の指導を得て力を蓄え、宋元明代の中国大陸に雄飛した、禅僧達の手に渡された。彼等は中国近世の出版文化に存分に親しみ、やがて日本の、知識の世界を変革していく。しかし前代の業績を受けその端緒を開いたのは、この金沢北条氏の活動であり、突然その幕を閉じることになった金沢文庫の収蔵書は、いまもなお、日本書籍史の支柱であるといってよい。

今日の金沢文庫

The Tunnel to Library

現在、称名寺に遺された金沢文庫資料は、神奈川県立金沢文庫において管理し、展覧に供されている。

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm (日本語)

また宮内庁書陵部図書寮文庫に伝来した金沢文庫本の漢籍は、デジタルアーカイブ「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」において、全文の閲覧が可能である。

デジタルアーカイブ「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」- http://db.sido.keio.ac.jp/kanseki/ (日本語)

関連情報

  • 中世歴史博物館 神奈川県立金沢文庫(日本語) 現在、称名寺に遺された金沢文庫資料は、神奈川県立金沢文庫において管理し、展覧に供されています。公式ホームページURL:http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm
  • デジタルアーカイブ「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」(日本語) 宮内庁書陵部図書寮文庫に伝来した金沢文庫本の漢籍は、デジタルアーカイブ「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」において、全文の閲覧が可能となっています。以下URLよりアクセスしてください。 http://db.sido.keio.ac.jp/kanseki/T_bib_search.php
  • Shomyoji Temple(称名寺) 横浜市公式ホームページ内称名寺の紹介。訪問時に役に立つ情報が掲載されています。 http://www.yokohamajapan.com/things-to-do/shomyoji-temple/
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古書から読み解く日本の文化: 漢籍の受容

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