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日本での紙の普及と量産

日本での紙の普及と量産
© Keio University

さて、一方、日本では、紙はいつごろどのように一般に普及していったのでしょうか? 製造技術の伝播という視点からたどってみましょう。

日本の紙作りの始まり

日本では大宝元年(701)に大宝律令という法律が制定され、その時に図書寮(ずしょりょう)という機関が設置されました。図書寮の役割は経典や仏像の管理で、造紙手(ぞうししゅ)という紙を製造する専門職がいました。また、大宝2年(702)に現地の紙(筑前・豊前・美濃)で作成された戸籍が日本最古の紙として残っています。

大同年間(806~810)には、新しい首都である京都に紙屋院(かみやいん かみやのいん)という機関が設置されました。京都市内を流れる「紙屋川」はこの機関の名前に由来しています。紙屋院の役割は、紙の製造、製紙技術の改良、製紙原料となる新しい植物原料の採用、造紙手養成のための指導などがありました。ここで研修を受けた造紙手は地方へ戻り、日本各地に製紙技術を伝えました。紙屋院で作られた紙は「紙屋紙(かんやがみ)」とよばれ、その美しさは『源氏物語』の中にも描かれています。中国から伝来した技術が発展し、その品質が向上した事実がわかる内容です。

plant 図1 『源氏物語』中の紙屋紙に言及されている箇所

ステップ1.7で紹介した宿紙は、もともとは紙屋院で作られたリサイクルペーパーです。朝廷の不要文書を再利用して作成したことに由来します。

江戸時代の紙の製造

日本の紙は、江戸時代に入ると西日本を中心とした各藩の専売品となります。

これは、各藩の蔵に納められたので御蔵紙と呼ばれ、米・塩・木綿と並び重要な産物でした。専売制とは別に、幕府に直接納められる御用紙は、特定の家が代々命じられて献納しました。こうした紙とは別に、農民が自由に売買できる紙もありました。紙を漉くための設備である漉き舟は、設置すると税金が掛けられますが、それを上回る収入がありました。また、冬季にだけ紙漉きをして生計を立てる職人も現れます。腕の良い職人は紙漉きの季節だけ漉き場で働くこともあったそうです。こうして江戸時代には生産量が増えていきました。

前ステップで学んだように、18世紀〜19世紀になると、欧米では印刷需要の高まりとともに、製紙原料であるボロ布不足に陥りますが、幸い和紙は植物を原料としており、この時代に深刻な問題は発生しませんでした。

日本の書物文化は、原料に恵まれていたからこそ形成されたといえるでしょう。

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古書から読み解く日本の文化: 和本を彩る和紙の世界

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