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『論語』日本に渡る

『論語』日本に渡る
© Keio University

『論語』が最初に日本に入って来たのは、応神(おうじん)天皇16年、西暦285年のことでした。

時に、朝鮮は百済(くだら)、中国は西晋(せいしん)の武帝の時でした。 『古事記』』に「命を受けて貢上れる人、名は和邇吉師。即ち論語10巻、千字文1巻、並せて11巻を是の人に付けて即ち貢進(たてまつ)りき。」と記されています。和邇吉師はまた、『日本書紀』に王仁(Fig.1)と記し、「わに きし」と読みました。

Old Book Fig.1 『博士王仁碑』
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さて、こうして伝わった『論語』は、日本ではその後、『論語』という呼び名だけでなく、『魯論』(ろろん)(fig.2)『円珠経』(えんじゅきょう)(fig.3)『六藝喉衿』(りくげいこうきん)等と呼ばれたのでした。『魯論』は『斉論』(せいろん)『古論』(ころん)に対して、現在伝わる『論語』のテキストの原型を指す意味があります。『六藝喉衿』は後漢の趙岐(?~201 ちょうき)が『孟子』の注釈を記した時の序文「孟子題辞」に「七十子の疇(ともがら)、夫子の言うところを会集し、以て論語を為る、論語は五経の錧鎋(かんかつ)、六藝の喉衿なり」と述べているのに基づきます。

Old Book Fig.2『論語(魯論)』
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Old Book Fig.3 『論語(円珠経)』
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『円珠経』は皇侃(おうがん)の『論語義疏』(fig.4)の序文に「物に、大なれども普(あまね)からず、小なれども兼ね通ずるもの有り、譬えば、巨鏡は百尋なれども照らす所、必ず偏なり、明珠は一寸なれども六合を鑑包せるがごとし。論語は小なれども円通なること明珠のごとく、諸典は大なれども偏に用いること譬えば巨鏡のごとし」とあるのに基づきます。

Old Book Fig.4 『論語義疏』
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『論語』は量の少ない書物ですが、人間世界の全てを述べ尽くした書物であると言うことでしょうか。後に、日本の儒者も『論語』を宇宙第一の書と評しましたが、古い時代から、評価が高かったことがよく分かります。

その後、写本で特定の知識人に読まれることになった『論語』は、如何に受容されていくのでありましょうか。

書籍情報と高品質画像は特設サイトでご覧ください。

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古書から読み解く日本の文化: 漢籍の受容

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