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中世期最後の花道

中世期最後の花道
室町時代も末期をむかえると、武士の台頭と学僧の活躍、戦乱と外国文化の受容、様々な時代の変革の様相を呈しながら、伝統的な学問を、家学として守ってきた公家・清原博士家は、どのようにこの変革を乗り越えるのでありましょうか。

この頃、文化的な動向という観点から見ると、朝鮮から、木活字による活字印刷法がもたらされました。日本では、版木を使う印刷法が専らでした(整版と言います)が、慶長時代頃(16世紀末)にこの方法を輸入してより、一時、大流行いたしました。

また、もう一つ、中国明との交流により、博士家が古くより信奉してきた、漢・唐時代の学問とは違う、宋時代に興った朱子学(しゅしがく 南宋の朱熹により大成された学問)が押し寄せてきました。漢・唐の学問は字句の意味の解釈に拘りますが、朱子学は哲学大系によって解釈する学問ですから、当時の武士や学僧には、新鮮でおもしろく思えたのでありましょう。

とは言え、学僧が講義に用いたテキストはまだまだ、古い漢・唐の学問によったものもありました。

この状況下、博士家は伝統に区切りを付けるべく、秘本であったテキストを一気に世の人々に公開しようと考えたのでした。そこで、流行の木活字印刷法を用い、効率よく多種の書物を出版することができたのでした。その活字印刷の『論語』もあります(fig.1)。

Old Book Fig.1 『古活字版論語』
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活字は字が大きく、読む者にとって大変便利でした。しかもテキストは博士家が校訂していますから、一文字一文字がきちんと検討校正されていて、学者からの評価は大変高かったようです。しかし、活字版は一頁ごとに活字を組み、有る程度印刷したら、組みをばらして、次の頁を組みますから、大量生産はできません。そこで、活字版を覆刻(複製)して、木版による大量生産も行いました(fig.2)。

Old Book Fig.2 『覆古活字版論語』
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これらを、慶長古活字版(けいちょうこかつじばん)などと呼んで、貴重文献に数えます。ただ、不思議なのは、江戸時代に入って暫く経つと、ぱったりと、こうした出版は行われなくなるのです。まったく、慶長・元和(げんな)・寛永(かんえい)の極初期に限られた不思議な出版活動だったのです。以後、江戸時代を通じて、木版による出版(整版)が主流となっていったのです。

振り返れば、博士家の学問もこの出版物を最後に、しかも、堂々たる大きな活字で最高のテキストを世に送って、一場の幕を引き終えたかのように、見えてなりません。

学問は、これをもって、中世に終わりを告げ、時代は太平の世へと移って参ります。

書籍情報と高品質画像は特設サイトでご覧ください。

© Keio University
This article is from the free online

古書から読み解く日本の文化: 漢籍の受容

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